ワルシャワ蜂起69周年

 

毎年8月1日の午後5時ちょうど、ワルシャワ中にサイレンが響き渡ります。走っている車も歩いている人も立ち止まり、ワルシャワ蜂起で戦った人たちへ追悼と敬意の念をこめて1分間の黙祷をささげます。“Godzina W (時刻W)”と呼ばれるこの時間は、69年前ワルシャワ蜂起が始まった時間です。

 ワルシャワは1939年のナチス・ドイツ侵攻以来、ドイツの占領下に置かれていました。ドイツ軍の力に翳りが見えたのを感じたポーランド国内軍は1944年8月1日ついに武装蜂起します。午後5時ちょうど、ワルシャワ中にあったドイツ軍駐屯所などを一斉に襲撃しました。完全武装の2万5千人のドイツ軍に対し国内軍は約4万5千人そしてたくさんの一般市民。市民の中には女性や子供も含まれていました。自由を勝ち取るという目標で一致団結して防戦するワルシャワ市民には当初ドイツ軍も面食らったようです。しかし数こそ勝ってはいたものの武器や物資の乏しかった国内軍はなかなか攻撃しても成果を挙げることが出来ず、徐々に追い詰められて行き、ついに10月2日に鎮圧されます。

 蜂起の知らせを聞いたヒトラーは国内軍の制圧とワルシャワを徹底的に壊滅するようドイツ軍に命じました。その結果、ワルシャワの総面積の80%が廃墟と化しました。ロマン・ポランスキー監督の“戦場のピアニスト”でエイドリアン・ブロディ扮するピアニスト・シュピルマンが隠れていた部屋から外に出て、廃墟となった町を見て泣きながら歩く場面がありますが、ワルシャワのほとんどがあの状態になっていたのです。

 当初は数日間の予定で始まったワルシャワ蜂起は結局63日間続きました。この戦闘で亡くなったワルシャワ市民の数は約20万人と言われています。

現在も毎年8月1日に記念式典が行われており、ポーランド共和国大統領、首相、ワルシャワ市長や当時蜂起に加わった人たち、そして一般市民も参加します。ワルシャワのあちこちにある蜂起の場所を示す記念プレートには、ポーランド国旗の色である赤と白の花とろうそくが飾られます。

ポーランドでは歴史をしっかり勉強するからでしょうか、若い世代の多くの人もワルシャワ蜂起を忘れてはならない、と言います。自分達の国で何が起きていたのか、また先人たちはそれに対してどう行動したのかを若い世代に語り継いでいくことはとても大事なことだと思います。

*画像はワルシャワ蜂起博物館YouTube公式チャンネルにある動画“Miasto Ruin”のものです。

ワルシャワ蜂起博物館公式チャンネル http://www.youtube.com/user/1944pl?feature=watch

ワルシャワ蜂起博物館公式ホームページ http://www.1944.pl/

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