ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:配給券

 
80年代のポーランドには配給券というものが存在しました。
(実は個人的には配給券という言い方は適当ではないと思っています。なぜなら、配給券を持っていても長い行列に並ばされ、かつ代金を払わなければならないからです。予約券とでもいいたいところです。でもここではややこしいので配給券で統一しましょう。)

80年代の配給券には食肉がありました。これは1ヶ月当、一般市民が2.5キロ、肉体労働者は4キロ(だったと思います)までの肉が購入できます。この配給券は定期券ぐらいの大きさの紙で、通常は職場や学校等で月に1度渡されます。つまり給料や奨学金と一緒に受け取ったわけです。ただし、住民登録があれば観光中の外国人でも手に入りました。この場合は市役所で発行してもらった覚えがあります。

2.5キロと聞くと決して少なくないと思いますよね。でも肉といっても、生肉はもちろん、ハムやソーセージの類も含み、そのうち1キロぐらいは骨付きの肉と指定されていますから、牛ヒレだけを2.5キロ買えるわけではありません。その時売り場にあるものだけです。肉食文化のポーランド人にとっては如何なものでしょう。日本の感覚では米の配給が1人当月に30合と定められた上に、標準米が10合、タイ米が10合、麦入りが10合といったところでしょうか。どうしてもササニシキが食べたい人は通常の何倍もの値段で闇米を買うことになります。(例えが悪いかな?)

まあ、贅沢をいってもきりはありません。例え限られているにせよ、手に入るだけましです。ただ配給券さえあればというわけにはいきません。配給してもらうににはこちらも貴重な時間を献上しなければなりません。私の記憶では肉一片買うのに平均1時間ぐらいは行列に並んでいたと思います。(まじめな話しですが、1時間の行列なんて慣れてしまうと本当に何でもないんですよ)

あの肩ロースを半キロとねらって行列に並んでも、1時間後にはもう残っていないなんてこともありました。それに完全なぶつぎり販売ですから、300グラムしか欲しくないのに、一片が500グラムだからと配給券に鋏を入れられてしまうこともしばしば。要するに肉を切るのが面倒くさいわけですな。それでも必要に迫られれば、おばさんが斧を片手にえいっ!肉をかち割ります。まだ大きい?あと100グラム削ってくれ!1人のお客に10分も20分もかかるわけです。ひき肉?そんなものはありませんでした。家に帰ってから手動ミキサーでギコギコやります。

肉がなくても魚類や野菜でと今なら思いますが、魚類なんてほとんどありませんし、野菜は冬場ではジャガイモ、にんじん、たまねぎ、ビートぐらいしか手にはいりませんでした。まあ、ありがたいことにポーランドでは鶏肉は肉とは言わないので、運よければ八百屋さんで手にはいりました。ただし丸ごと1羽ですが。こちらも家に帰ってから分解するのに一苦労ですけど、バスやトラムに乗りながら買い物カゴから裸にされた鳥がデレーッと覗いていて、その匂いを嗅ぎつけた犬がクンクン、ワンワンと。

ところで、私が今書いているのは配給券にまつわる話しで、ポーランドにいかにものがなかったかということとは別のことです。なぜなら、この時期に配給券なんか関係なくいくらでも肉が手に入った階級があるからです。共産党員、軍関係者、警察関係者、外交官、外国人(商社)たちです。市内には彼ら専用のお店がいくつかあり、行列もなく、肉の種類も一般のお店とは比べ物になりません。ここでは身分証明さえ見せれば10キロでも20キロでも上等の肉が買えました。私は学生でしたから当然そんな特権はなかったのですが、知人に何回か連れていってもらったことがありました。

ある時学校で配給券だか肉の話しをしているとき、党員の息子の学生が、肉が欲しければいつでも言いなよ、いくらでも譲ってあげるからと皆に得意げに言っていました。でも私を含めて誰一人彼に頼んだ友人はいなかったようです。なぜでしょう?あの時彼を利用していれば私の青春時代の何十分の一かを行列に費やさなくても済んだことでしょうに!

こうやって、書き始めると結構次々と出てきますね。でもあんまり長くなるのも問題だし、後が続かなくなると怒られるので今回はこれぐらいにしておきます。何か不明な点があれば言って下さいね。あの時代を知らない人に理解してもらうには言葉が足りなすぎるでしょうから。

それでは皆さん、また次回。

ワルサワ クラコ

(写真はwiadomosci.wp.plのものです)