JAPOLAND読者のイザベラさんから、自身が日本語で作詞をした歌を送っていただきました!下記は彼女による歌の説明です(原文まま)。 こんにちは、IZABELA CHMIEL (フミエル・イザベラ)と言います。ポーランドのポズナンのUAMの二年生です。日本語や日本の文化に興味があります。小学校のときにナルトを見て、日本語が好きになりました。それに日本の音楽を聴いたり文化について読んだりしました。中学校に友達と日本語を勉強し始めました。去年日本語で歌詞を書いて、PAWEŁ IZDEBSKI (パベウ・イズデブスキ)さんと「あの夜」という歌を作りました。他の趣味はサッカーや外国語でPIXI(ピクシ)という犬を飼っています。 去年の三月にパベウ・イズデブスキさんは日本語で歌を作ろうとメッセージを送ってくれました。はじめにちょっとびっくりしたんですが、四月から歌詞を書き始めました。二人の日本人の友達は治すのを手伝ってくれてから私がイズデブスキさんにスカイプで日本語の発音を教え始めました。パベウさんは日本語がぜんぜん話せませんから「ん」とか「る」とかは本当に難しくて楽しかったです。途中にワンオクロックや尾崎豊などの歌をたくさん聴いたり、パベウさんは歌曲を作くて、ミコワイ・ピエホズキさんはそれをレコードしたりしました。九月にパベウさんが住んでいるワルシャワのよこの小さな村に来て、一生懸命発音を一緒に練習しました。2014年9月13日に「Czas na Granie」というコンサートで「あの夜」ははじめて歌われました。明後日、ミコワイ・ピエホズキさんの家にあるスタジオでレコードをしました。「あの夜」という歌は普通の恋人と友人の思い出と生活の変化について物語です。 “あの夜” 地下水面に僕は いくつかの思い出を探してる 風が電車のひびきを はこんでくれたのを かすかに覚えてる 焚火のそばで ほほをなでて 眠ってる間 静かに歌っていた 覚えてるかい? *一、二、三 夢が消える もう一度 時間はごくわずかになる 一、二、三 夢が消える もう一度 時間はごくわずかになる 星の光がうすれゆくまで、 僕らは未来を一緒に 探していたが 別々の道を見つけた あの夜も 僕らは こどくだったと 分かるだろう *繰り返し 僕らはほこりにまみれて踊ったり もえがらをつかんだりした 何よりも生きた 君と僕 うたがいもなく 古い夢や 過ちが 僕らを分けた ー、二、三 ごくわずかになる いかがでしたか?もし「私もポーランド語で歌ってみたのでJAPOLAND読者のポーランド人に聞いてもらいたい!」「私がポーランド語で書いた文章をポーランド人に読んでもらいたい!」という方は、ぜひ編集部までご連絡くださいね! 関連記事 / Related posts: これだけは覚えておきたいポーランド語:病院編 産婦人科 これだけは覚えておきたいポーランド語:病院編 その1 ポーランドの早口言葉 きのこの子育て日記:ポーランド語 ポーランド人の名前の愛称
第二次世界大戦中にドイツに侵略されたポーランドには、数多くの強制収容所・絶滅収容所が残っています。多くのユダヤ人やポーランド政治犯など約六百万人が命を失いました。よく知られているのは、アウシュビッツ強制収容所ですが、現在ポーランドには九カ所残っており、その中の六カ所を回ってきましたので、写真にて紹介いたします。 アウシュビッツ強制収容所博物館のガイド氏によると、ヒトラーはもともと国民投票で大統領に選出されたため、自ら選んだ国の代表の暴虐ぶりを国民のだれも否定できなくなったそうです。戦後、国際裁判にかけられたドイツ人将校は皆「私は上からの命令によってやった。」と答えたそうです。人を殺して最終的に行き着くところが責任逃れでは、亡くなった人たちが報われるはずがありません。大量虐殺は想像を絶する大惨事ですが、身近なところでも耳にする「わたしのせいじゃない」の言葉に立ち返り、自分の周りにいる人が嫌な思いをしないような学級、学校、地域、社会にしていかなければいけないと思いました。 ポーランド人に出身地を聞かれ「広島から来た。」と言うと、「オー。」と反応されます。みな「ヒロシマ」を知っているからです。平和都市ヒロシマの人間としては、ポーランドにいた意味と使命を自覚し、ポーランドで見たこと・知ったことを教育活動にも生かしていきたいと思っています。 ASKA 関連記事 / Related posts: アウシュビッツで盗難事件 アウシュビッツ解放70周年 ときめき Day Trip 〜マイダネク編〜 アウシュヴィッツ強制収容所の名称の変更 ワルシャワ (Warszawa)
(編集部:クバさんによる原文を掲載しています) 次の話はちょっとこわいだそうです。それは5日目でした。ゆっくり部屋にいて、妻にメールを書いていることろで、急になんか変な音が床からなりました。次々、カサカサ、カサカサとする音が耳に入りました。音の原因を探したら、ポーランド人にとってすごく大きいゴキブリを見ました。もう友達に日本のゴキブリについて聞かせたが、初めての経験はちょっと驚きました。でも、最初、スリーパで殺すと思ったが友達はそれはあまりいいアイディアじゃなおと言われたから、ホストマザーに走って逃げました。もちろんゴキブリが怖くなかったが、ただなるべく早く部屋を出たくなりました。お母さんから、なんか不思議なスプレーをもらいました。このスプレーでゴキブリを噴射したらすぐ亡きますとお母さんに教えてもらいました。勇気を集まって、部屋に戻りました。もちろんゴキブリは頭がいい虫として、隠していきました。遂に出たら、スプレイを使って、本当にあっという間にゴキブリが殺してしまいました。珍しいのはゴキブリのサイズとスプレイの効くのことです。ポーランドのゴキブリはほぼ2センチだそうです。それから、色々の虫防衛のことはあまり効いていません。だから、ここでは2つのとても驚かせたものでした。 もちろん、他の話もありますが。今まではそれで終わります。でも、今度、読者がいれば、喜んで続きを書きます。 関連記事 / Related posts: 初めての日本(1) by Kuba 来ポの前に:薬 私の日本滞在記 混浴露天風呂の初体験 本物の日本を探って