ヴィスワヴァ・シンボルスカ (Wisława Szymborska)

ヴィスワヴァ・シンボルスカ (Wisława Szymborska)はポーランドの詩人・エッセイスト・評論家・翻訳家・ノーベル文学賞受賞者です。

シンボルスカは1923年7月2日現在はクルニクの一部となっているプロヴェントという町で政治家の父ヴィンツェンティと母マリアの次女として生まれました。1929年クラクフへ引越し、第2次世界大戦中は地下学校で教育を受け、1943年からは鉄道員として働いたことでドイツ帝国への強制労働送りを免れました。この頃英語の教科書に挿絵を書いていたと同時に詩を書き始め、1945年クラクフの文学界に登場、翌年ヤギエウォ大学ポーランド学科に入学(途中で社会学に転向)しましたが、経済的な理由から退学します。

1948年詩人のアダム・ヴウォデクと結婚(54年に離婚)。1949年に最初の詩集を刊行する予定だったものの「社会主義の必要条件を満たさない」という理由で検閲に通らず出版されませんでした。とは言うもののポーランドの他の知識人たちと同じようにシンボルスカも社会主義政府のイデオロギーに賛成していましたが、次第に社会主義イデオロギーに興味を失い、のちには反体制側にまわります。1967年からは詩人のコルネル・フィリポヴィッチがパートナーでしたが、結婚することはありませんでした。

1996年にノーベル文学賞を受賞。2010年の大統領選挙の際はブロニスワフ・コモロフスキ氏の後援会員をつとめました。

2012年2月1日クラクフの自宅で眠っている間に死去。遺体はクラクフのラコヴィエツキ墓地に安置されています。

代表作には「自問」(“Pytania zadawane sobie”: 1954)、「塩」(“Sol”: 1962)、「万一」(”Wszelki wypadek”: 1972)、「大きな数字」(”Wielka liczba”: 1976)、「終わりと始まり」(”Koniec i początek”: 1993)があります。