トレブリンカ強制収容所 (Muzeum Treblinka)

トレブリンカ強制収容所はワルシャワから北東に約100km、車で2時間弱のところにあります。ここはナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅を目的とした「ラインハルト作戦」にもとづいて作られた三大絶滅収容所(そのほかにはベウジェツ強制収容所、ソビブル強制収容所)のひとつで、1942年に建設されました。

有刺鉄線が張り巡らされた約17ヘクタールの敷地には30-40人のドイツ人とオーストリア人、100-120人の警備員(そのほとんどがウクライナ人)が駐在していました。

初めてユダヤ人がここに移送されてきたのは1942年7月23日、ワルシャワのユダヤ人ゲットーからでした。それからは毎日のようにここにユダヤ人たちが移送されてきました。彼らのほとんどはポーランド国内に住むユダヤ人でしたが、そのほかにもチェコスロバキア・フランス・ギリシャ・ユーゴスラビア・ソヴィエト連邦・そしてドイツやオーストリアからも移送されてきました。また、ドイツとオーストリアに住んでいたシンティ・ロマ人たちもここへ送られて来ました。ここに送られてきた人たちは到着後数時間の間にガス室で殺害されました。ここで虐殺された人々の数はおよそ80万人にのぼると言われています。

イスラエルのゲットー闘士博物館であるトレブリンカ強制収容所のモデル

1943年8月2日ユダヤ人特別労務班の反乱が起こり、その混乱に乗じて840人いた収容者のうち約200人が脱出しました。しかし戦後まで生き残った人はわずか100人ほどと言われています。この反乱が起きてから収容所の解体が徐々に始まり、1943年11月には全ての建物が解体され、整地された後はウクライナ系農民のための家を建てましたがその後東部戦線の前に焼き払われました。

上記にあるとおり、この収容所はドイツ軍によって焼却されたので当時のものは現在残っていませんが、この一帯は現在トレブリンカ博物館になっており、移送されてきたユダヤ人たちが降り立ったプラットフォーム跡や鉄道線路跡、数々の慰霊碑などがあり、ここでユダヤ人孤児たちと共に殺害されたヤヌシュ・コルチャックの慰霊碑なども見学することが出来ます。

 

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Muzeum Treblinka
Niemiecki nazistowski obóz zagłady i obóz pracy (1941 – 1944)
08-330 Kosów Lacki
Wólka Okrąglik 115
tel./fax: +48-25-781-16-58
https://muzeumtreblinka.eu/

写真はtreblinka-muzeum.eu, pikiwiki.orgのものです。