ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:ドル

 
チェンジマネー?

80年代のポーランドでは街を歩いていると、そんな声が多く聞かれました。格好いい男性が「お譲さん、お茶でも如何?」なんてことなら多いに歓迎するけど、大抵ふやけたおじさんたちで、「ドル!ドル!」と群がってこられても、「そばに寄るな!」といいたくなります。この人たちは親切(?)にも私の持っているドルやマルクをポーランド通貨に両替してくれるというわけです。しかしこれ、立派な違法行為なのよ。

80年代のポーランドでは、ドルという通貨は第2の、いや第1の通貨の役目を果たしていたとも言えます。つまり、ポーランドの通貨=ズオッティ(以下、面倒くさいのでZLと書きます)で買えないものもドルでは購入可能だったのです。逆にいえばドルでしか買えないものの方が多かったといっても過言ではないでしょう。

その一例として90年代にはなくなってしまったドルショップがあります。ここに行けば、外国タバコでもお酒でも、衣類や電化製品でも手に入れることができました。ただし、ZLでは購入できません。ズラッーと並んだ外国製品は、そこだけ西側(今や死語でしょうか?)の匂いがしたのよねー。イメージとしては空港の免税店みたいな感じかな。

外国人の場合だと、飛行機や列車の国際便の切符や、ホテルなんかもドル払いだったかな?仮にZL払いできたとしても、外国人からしてみれば、ポーランド国外でZLが手に入るわけではないから、当然こちらはドルを所持しています。ドル払いなら両替の面倒もいらないし文句なし、といいたいところですが、そこが複雑なんです。

まず、はじめに80年代のポーランドには強制換金というものがありました。私は強制と付くだけでむしずがはしってしまいますが、強制換金とはその名の通り、両替が義務付けられているということです。日本でポーランドの入国ビザをもらうと、一般で1日15ドル、学生で1日7ドルの換金義務とパスポートに書き込まれてしまいます。

入国した日から滞在日数X15ドルが私の義務だとすると、その金額をZLに換金した証明書がないと、出国できないのです。出国できないまでもその場で換金をしなくてはなりません。もちろんその分のZLは国外持ち出し禁止ですから、実質的には没収というわけ!

何言ってんだ、1日15ドルぐらい使うだろうと思うあなた、ここからを聞いてください。換金証明が必要ということは、銀行や空港等で公定レートで両替するということです。ところが非公式(嫌な言い方だけど闇ドルのことね)の取引レートでは実にこの4倍のレートに跳ね上がります。つまり、私が10日滞在すると15ドルX10で150ドル、円だと約35,000円ぐらいだけど、国内の流通価値では本当は14万円に相当するということですよ!だから、大抵はZLが余ってしまって、ポーランド人に置いていったりするんだけど、そうするともらう方はやっぱり、私の換金した価値の4分の1としか見てくれないわけ。

ウオッカ1本買うのに1ドル相当か、4ドル相当か2つの価値基準があるから、お土産を持って帰っても誰に何をプレゼントしようか迷ってしまうのよね。まったく買い物する立場にたって考えてもらいたいわ!どちらの基準が正しいか簡単には言えないけど、89年の自由化に伴い政府の定めた公定レートは闇ドル相当。そう考えると80年代は多くの外国人から実際の4分の1のレートで両替していたことになるのよね!

何れにせよ、ポーランド人にとってはドルを所持することは、ドルショップ等で買い物できる効能があると共に、いざという時にいつでも現金化でき、自国のインフレにも左右されず、国際的にも通用する金(きん)や宝石のようなものだったのではないかなー。(ZLはズオートの複数形で金(きん)の意味なのに…….)

だから皆、ドルを欲しがるわけ。初めに書いたように街を歩いていても「チェンジマネー?」とうるさい。でもこの人たちは商売人で、外国人から安くドルを買って、ポーランド人に高く売る人たちでちょっと信用できない。両替したら偽札だったり、闇市場のレートより極端に安かったり、はたまた警察の囮捜査だったりしてね。売った方も買った方もお縄頂戴。1種の違法取引ということでしょうね、きっと。

私が学生の頃は、クラスの中に必ず1人はこのような商売人関係の子がいて、結構いいレートで両替してくれたり、外国人に部屋を貸している大家さんなんかもほとんどといっていいくらい、安心して両替してくれたかな?どうせ転売するのだろうけど。私の体験では、学校の教授に「少しでいいからドルを売って欲しい」と恥ずかしそうに頼まれたこともあるし、遊びに行った友人宅に居合わせた神父さんが、「今度バチカンに行く事になったから…….」なんてこともあったわね。結局20ドルぐらい換金してあげて「神のご加護を!」と。いやー、銀行で両替してもこうは言ってくれませんなー。

ところで1つ気になるのは、この2重経済はより多くの外貨を吸い上げる計画だったんだろうけど、その対象は外国人よりもポーランド人に向いていたのではないかということ。それはもし、外国人からより多くと考えるなら、強制換金の金額を上げるか、もっとレートを落とすとか、ドルでしか買い物できないようにするとか、方法はあったように思うんだけど。

例えば、80年代の旧ソ連なんかではドルショップには外国人パスポートがないと入れなかったし、まあ、それなりの英語が通用したのに、ポーランドのドルショップでは、お客のほとんどがポーランド人で、従業員は英語も話せない!

それにドルとして通用する紙幣が存在してたのよね!ボンと呼ばれていた子供銀行のお金みたいな紙幣なのだけれど、これでドルショップで買い物できるんだから凄いでしょ!でもこのボンはもちろんポーランドでしか通用しないから、あくまでもドルの代わり、悪くいえば偽のドルよね!困ってしまうのは、ドルショップで買い物したときのおつりや銀行からドルを引き出すとき、この子供銀行が混じってくること。ポーランドで使うことだけ考えれば、まあ不便はなくても、私の本物のドルが価値は同じとはいえ偽のドルに変わってしまうわけよね。それって子供の頃、図書券もらうより、現金もらう方がうれしかったのと同じじゃない?(私だけか?)

経済学的なことはよくわからないけど、そうやってボンを流通させることでドルでの購買を促進させて、本物のドルを国民から吸い上げようということだったのかしら?これも1種のマネー・ロンダリング?どっちでもいいのだけれど、もしそうなら私もその片棒を担いでしまったことには変わりはないわね。でも、もう時効かしら….

ドルの話しはこれだけでは書き切れないから、またその内書きますよ。
何かまとまらない話しですいません。不明な点は質問してください。

それではまた次回に!(次回も読んでくれるならだけど….)

ワルサワ クラコ