ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:亡命2 – 出戻り

 
前回に次回は明るい話題をと宣言したんだけど、忘れないうちに亡命編に付け足しておきたいことがあります。

それは90年代前半の亡命者たちの出戻りについてなの。開放されたポーランド、自由な祖国に帰ってくる人たちが多くいるのは当然といえばそうなんだろうけど、私個人としては、その中の1部の人たちにはあまり好感が持てませんでした。当事私がよく考えていたことがあるので、今回はちょっとそのお話しをさせてください。

あのポーランドの80年代(もしくはそれ以前)を逃れ、外国に出た人たちも色々と苦労はあったと思うのね。でもそれによってポーランドでは得られない収入があったのも事実。特にポーランドに帰国することを考えれば、100万円の貯金だって大した財産だったと思うわ。1部の人たちはそういうお金で、例えば土地転がしをして儲けました(はっきりいわせてもらいます)。中級マンションや土地を買いまくり、値段が高騰したところで転売。これだけでも何百万円というお金が手に入ったのよねー。

自由化前にはアパートはほとんどが公団からの賃貸形式で、居住権はあっても売買は出来なかったんですよ。ところが自由化以降は希望すれば購入して自分の資産とすること(ただしそこに現在居住権があれば)ができるようになりました。私の知人のアパートでは90年ぐらいの頃、確か2000ドル程度で自分のものに出来たと記憶しています。でもその知人は当事、そんな資本金はなかったのよね。それに、いくら自由化といったって、今後どうなるのかなんてわからないじゃない?

当事は、大金をはたいて住居を自分のものにしたって、いつ政情が変わってドクトル・ジバコのように全てを失ってしまうかわからないという不安もあったわけよ。別に住居を購入しないとアパートを追い出されるというわけではなかったから。

それを出戻り組のひとはここぞとばかりにつぎ込んだわけね。当事はまだ、100%の外国人は不動産を購入するにはいくつもの難関があったから、ほとんどはポーランド人が投資したといってもいいでしょ。(中にはポーランド人の名義を利用して外国人や外資系企業が買っているということも多々あったでしょうけど)

もう一つ、出戻り組に良くあるのは、例えばドイツに亡命してドイツの企業に就職するわよね。自由化と共にその会社がポーランド進出。もともとポーランド人ということもあるから、所長待遇で支社を任されたりしてね。実は私の知人にもこれと全く同じケースがあって、学生の頃は貰いタバコしていたあの彼が、今や某有名企業の所長だって!以前にばったりあったらちゃんとスーツ来てサラリーマンやっていたわ。

別に出戻り組の人を悪くいうつもりはないのだけれど、80年代にポーランドに残った人たちが「さあ、自由化だ!皆で新しいポーランドを作って行こう!」となったのならまだしも、実際には外国で得た資本に食い荒らされ、国内の貧富の差が広がってしまったという一面もあるわけなの。

前回私が書いたように、国を離れるということはその人にとっては大変な決断だと思うのよね。色々な事情があってポーランドを離れたのだから、できることなら外国で成功して欲しいわね。なぜなら、例えば親と喧嘩して家出した放蕩息子が、親父が死んだのをきっかけに、財産をあてにして家に帰ってくるのに似ていないとはいえないんじゃない?。(日本人的な考えかしら?)

前にも書いたけど、経済学的なこととかは良くわからないんだけど、外国資本が必要だっていうことは私にだってわかるわ。ビジネスである以上利益を出さなければならないこともね。でも私が気になるのは、ポーランドが切り売りされているような実態なの。それもポーランド人自身によって。

第2次世界大戦で、その80%を破壊されたワルシャワの街が、戦後市民一人一人の手で元通りに復元されたでしょ。そのエネルギーは一体何なの?合理的に考えれば無駄なことじゃない?そんなお金と労働力があるなら、近代的な街づくりをした方が有意義なんじゃない?ワルシャワ復元のこの発想は決して社会主義イデオロギーから発したものではないのよね。その証拠に市民が復興の寄付までしているんだから。

つまり、ポーランドには(ポーランドでなくてもそうかも知れないけど)そういう合理主義では割り切れない何かがあったわけ。ビジネスでもなくイデオロギーでもなくて。それがもし自由化=資本主義が至上の目的になってしまったら、ポーランドはただのヨーロッパの後進国(発展途上国?)に成り下がってしまうじゃない?

ポーランドを出た人も残った人もまさか、そんな祖国を目指しているわけではないでしょう?コペルニクス、ショパン、キューリー夫人を生んだ国なんだから、過去に誇りを持つだけではなく、これからのポーランドにも誇りを持っていって欲しいと思います。

そして私たち外国人も、ポーランドにもっと献上してもいいはずよ。企業レベルなら、工場の土地を利用して地元民が楽しめる開放用の娯楽施設をつくるとか、もっと地道に日本文化を紹介する講習を催すとか色々あると思うわ。進出した企業だって経済特区を重視しなくても、地元に歓迎されてポーランドに進出したことを誇りに出来るようになったら、双方にとってこんな素晴らしいことはないんじゃない。

個人レベルだって折り紙や生け花を習いたいというポーランド人がどれだけいることでしょう。そういう1歩1歩は、私たちがいつかポーランドを去る時が来ても、その足跡はきっと残るのんじゃない?別に日本文化と特定しなくても、私たちの笑顔一つがこのポーランド、そして日本にとって意味のあることではないかと思えてなりません。

もちろん、理想論ということはわかっているけど、それを目指すか無視するかは全然違うと思うのね。もし、そういうことが実現できるなら、こんなちっぽけな存在である私にも何らかしらの意義があったということでしょ。もしそうならなければ…….?

またまた、支離滅裂なんだけど、冬のポーランドで雪の降る夜にお散歩して見てください。そこには誰かは分からない足跡がいくつか残っています。それを見た私たちはきっと、何か暖かい気持ちになれるのではないでしょうか?

ちょっとシリアスなクラコでした。(感情的になってごめんなさい)

(写真はpl.wikipedia.orgのものです)