灰とダイヤモンド/ Popiół i diament (私の見たポーランド映画)

原題: Popiół i diament(灰とダイヤモンド) 1958年 110分
監督: Andrzej Wajda(アンジェイ・ヴァイダ) 
脚本:Andrzej Wajda(アンジェイ・ヴァイダ)、Jerzy Andrzejewski(イエジィ・アンジェイエフスキ)

この映画には原作があるのをご存知だろうか。日本語でも翻訳されて出版されているイエジィ・アンジェイエフスキ(Jerzy Andrzejewski)が書いた結構な長編小説だ。ただし主人公はあくまでも共産党員のシチュカ。原作では共産主義を賛美していたのに、映画では主人公がいつの間にか、ワルシャワ蜂起にも参加した反共産主義活動家のマチェックにすり替わってしまっている。

この映画を一言でいうならば、「わかりにくい」というのが率直な感想。これはヴァイダ監督の他の作品にも共通することだけれど、ポーランドの歴史的背景を知らないと劇中に何のことだがさっぱりわからない描写が多い。ただ逆に言えば、歴史的背景を知っていれば、ああなるほどと、共感できる部分は多々あるだろう。

つまりは、エンターテーメント性の高いハリウッド映画でも、歴史的史実を紐解いた啓蒙的な映画でもなく、ポーランド人がポーランド人のために作った映画といえるのではないだろうか。

ある解説では、暗殺者マチェックが共産党員シチュカを拳銃で殺す場面で、撃たれたシチュカがマチェックと抱き合う、ここに2人の同胞への秘めた共通の思いが表現されてるとあり、ヴァイダ監督もそれを意図して作ったことを肯定しているようだが、そののシーンを何回みても、撃たれたシチュカがマチェックに倒れこんでいるだけで、ポーランド人同士の祖国愛が表現されているとは言い難い。マチェックの表情には困惑や殺してしまったことへの恐怖すら伺える。

また、その後にドイツ降伏の花火が上がるのだが、ここに来てはじめて、ああ、まだ戦中の出来事だったのだとわかる。それまでの設定だと、戦後直後の話とも理解できるが、そういった背景説明がほとんどない。そして更に複雑なのは、共産主義者たちの活動で、実は1944年夏には東部ポーランドは既にソ連軍によって解放されていたが、ワルシャワを含む西部は1945年春まで解放はされていない。つまりこれは、首都ワルシャワなどの話ではなくて、既に解放され、共産主義勢力が幅を利かせつつあったポーランド東部が物語の舞台で、そこにポーランド人の2つの勢力があったという設定ということになる。

歴史が複雑なのはもちろん、ヴァイダ監督のせいではないけれど、もう少し背景説明があってもいいだろう。検閲や政治的配慮からあえて説明しなかったとも考えられるが、例えば民主化以降に制作された映画「カティン」でも、西からのドイツ侵攻から逃げる人々がある橋の上で、東側のソ連軍から逃げてきた人々と鉢合わせるシーンがある。これはポーランドを分割するというドイツとソ連の秘密協定によって生じたことだが、もちろん当時の人々は知るわけもなく、戸惑い、追い詰められていくのはリアリティのある設定になっている。しかし、やはりその後も実はソ連が攻めて来ていた、そしてドイツと結託していたという背景は全く説明されないまま、終わっていく。

つまり、社会主義時代が終わり、検閲や政治的配慮のいらない自由社会になっても、ヴァイダ監督はそういった時代背景などにはあえて触れない映画監督なんだというのが正しい見解なのかもしれない。

もちろんこれは何も悪いことではない。こういった時代背景を説明しなくても理解してくれるのは、誰よりもポーランド人であり、ヴァイダ作品はポーランド人の目線でポーランド人に向けて作られた映画だと考えれば、それはそれで納得できる。60年代に映画界の中でポーランド派という言葉が生まれ、ポーランド映画が注目されるようになったが、その意味ではヴァイダ監督はパイオニア的存在であることは間違いなく、当事の社会的背景を理解した上でこの作品を見るには、大きな意義があるだろう。
 
 
(写真はnowehoryzonty.plのものです)