聖土曜日(Wielka Sobota) – ポーランドの祝祭日

イースター前日の土曜日は聖土曜日、ポーランド語でWielka Sobota(ヴィエルカ・ソボタ)といいます。 この日は十字架にかけられて亡くなったイエス・キリストを追悼する日です。この日は前日の聖金曜日と同じくミサは行われませんが、信者はイースターのために用意したświęconka(シフィエンツォンカ)というものを持って教会に行きます。このシフィエンツォンカはちいさな籠の中に、キリストの復活を意味する砂糖細工の羊、死との勝利を意味する卵、キリストの体を意味するパン、真実と清廉を意味する塩、肉体の力を意味する西洋わさび、家族の繁栄を象徴するハムやソーセージ、財産や知識を意味するケーキ(手作りであることが重要)などが入っています。これを教会へ持って行き、聖水をかけて祝福してもらい、家に帰ります。祝福してもらったシフィエンツォンカはイースター当日の朝食となります。 (写真はpl.wikipedia.orgのものです) 関連記事 / Related posts: ヨーロッパの日(Dzień Europy) – ポーランドの祝祭日 ポピエレツ (Popielec) – ポーランドの祝祭日 ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日

聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日

イースター前の金曜日をポーランド語でWielki Piątek(ヴィエルキ・ピヨンテック)といいます。日本語では聖金曜日、また受難日や苦難日とも呼ばれる、イエス・キリストの受難を記念する日です。 この日は「十字架の道行き」というものが行われます。これはポーランド語でDroga Krzyżowa(ドロガ・クシジョヴァ)と呼ばれるもので、イエス・キリストが捕らえられてから葬られるまでの14の場面(最後に“復活”の場面を加えて15になることもあり)の出来事に祈りを捧げるものです。この場面のことをポーランド語でStacja(スタツィア)といいます。この習慣はエルサレムで始まり、中世になってからフランシスコ会の修道士達によって広められました。場面の数が14になったのは17世紀になってからなのだそうです。 「十字架の道行き」は教会の外で行われます。普通は司祭たち、その後ろに信者達が続いてが歩きながら祈りを捧げるのですが、教会によってはキリストや兵士の格好をした人たちが、当時の状況を再現することもあります。 十字架の道行き(14留) 1.イエス、死刑宣告を受ける (Pan Jezus skazany na śmierć) 2.イエス、十字架を担う (Pan Jezus bierze krzyż na swe ramiona) 3.イエス、はじめて倒れる (Pierwszy upadek Pana Jezusa) 4.イエス、母マリアに会う (Pan Jezus spotyka swą matkę) 5.イエス、キレネのシモンの助けを受ける (Szymon Cyrenejczyk pomaga nieść krzyż Jezusowi) 6.ヴェロニカ、イエスのみ顔を拭う (Święta Weronika ociera twarz Pana Jezusa) 7.イエス、再び倒れる (Pan Jezus upada pod krzyżem po raz drugi) 8.イエス、嘆き悲しむ婦人たちを慰める (Pan Jezus pociesza płaczące niewiasty) 9.イエス、3度倒れる (Trzeci upadek Pana Jezusa) 10.イエス、衣をはがされる (Pan Jezus z szat obnażony) 11.イエス、十字架に釘付けにされる (Pan Jezus przybity do krzyża) 12.イエス、十字架の上で息を引き取る (Pan Jezus umiera na krzyżu) 13.イエス、十字架からおろされる (Pan Jezus zostaje zdjęty z krzyża) 14.イエス、墓に葬られる (Pan Jezus złożony do grobu) 15.イエス、復活される (Zmartwychstanie) (写真はkrakow.gazeta.plのものです) 関連記事 / Related posts: ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – […]

ポーランドのイースターパーム(Palma Wielkanocna)

もうすぐイースターです。この時期になると、町のあちこちではカラフルに染めた麦の穂を編んだようなものを目にするようになります。 これはイースターパーム、ポーランド語ではパルマ・ヴィエルカノツナ(Palma Wielkanocna)と言うものです。大きさも机の上に飾れそうな小さいものから、こんな大きいものどこに飾るの?と思ってしまうようなものまでさまざまです。 イースター一週間前の日曜日はパームサンデーといいます。日本では“枝の主日”や“聖枝祭”または“棕櫚の主日”と呼ばれていて、これはイエス・キリストがロバにまたがってエルサレムに入ったときを記念する日を指します。この日は教会へパルマを持って行き、神の祝福を受けます。群集がナツメヤシの枝を手に持ってイエスを迎えたことから、本来ならナツメヤシやシュロなどのヤシ科の植物の枝が使用されるのですが、ポーランドにはヤシ科の植物がないため、復活のシンボルと言われている柳や麦の穂を使用してパームが作られるそうです。 このイースターパームはイースター前日の聖土曜日に燃やされ、その灰は翌年の灰の水曜日に、神父が信者たちの頭にふりかけるのに使用されます。 さて、パームサンデーにはポーランド各地でイースターパームのコンテストが行われています。その中でも特に有名なのが60年以上の歴史を誇るリプニツァ・ムロヴァナ(Lipnica Murowana)という町のコンテストで、2019年の大会最高記録はアンジェイ・ゴリルさんという方が製作した約38mのパーム! コンテストに出品されたイースターパームたちは町の聖シモン広場に飾られ、観光客の目を楽しませてくれます。残念ながら今年はコロナウイルスの影響でコンテストは開催中止となってしまいましたが、また来年素敵なパームを見られることを祈って今を乗り切りましょう! 関連記事 / Related posts: ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 ホインカ (Choinka) 復活祭に向けて 聖母の被昇天の祝日 (Święto Wniebowzięcie Najświętszej Maryi Panny) – ポーランドの祝祭日 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日

ポピエレツ (Popielec) – ポーランドの祝祭日

ポピエレツ(Popielec)はカトリック教会の典礼歴年のうちの一日で、日本語では「灰の水曜日」と呼ばれています。ポーランド語でもŚroda Popielcowa(シロダ・ポピエルツォヴァ)ということもあります。キリスト教徒にとってとても大切な祝日である復活祭への準備期間である四旬節は、この灰の水曜日から始まります。四旬節はキリストが荒野で40日断食したことに由来していますが、日曜日には断食をしない習慣だったため、実際には復活祭の46日前の水曜日から始まることになっています。 灰の水曜日には教会へ行き、司祭から額や頭頂部に灰で十字架のしるしをつけてもらいます。この灰は前年の「枝の主日」で使われたナツメヤシや棕櫚の枝を燃やしたものです。このとき、司祭は「 Pamiętaj, że jesteś prochem i w proch się obrócisz(あなたはちりであり、ちりにかえらねばならないものだ)」という創世記の一文、もしくは「Nawracajcie się i wierzcie w Ewangelię(回心して福音を信じなさい)」と言います。 この儀式は8世紀に始まり、11世紀にはローマ教皇ウルバヌスII世によって、全ての教会で行われるように制定されたのだそうです。2020 年のポピエレツは2月26日に当たります。 (写真はwww.polskieradio.plのものです) 関連記事 / Related posts: 聖体の祝日(Boże Ciało) – ポーランドの祝祭日 男性の日 (Dzień Mężczyzn) – ポーランドの祝祭日 ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日

オフィアロヴァニェ・パンスキェ (Ofiarowanie Pańskie)

オフィアロヴァニェ・パンスキェ (Ofiarowaie Pańskie)はポーランドの聖日です。Matki Boskiej Gromnicznej(マトキ・ボスキ・グロムニチネイ)と呼ばれることも多くあります。日本語では聖燭祭もしくは主の奉献の祝日と言われています。グレゴリオ暦で2月2日に祝われます。 これは聖母マリアとナザレのヨセフが律法の定めに従い、生後40日目のイエス・キリストをエルサレムの神殿に連れてきて、産後の汚れの潔めの儀式を受けると共に、キリストを神に捧げたというものです。 この日はグロムニツァと呼ばれる大きなろうそくを持って教会に行きます。グロムニツァに聖水をふりかけたあとミサが始まります。ミサの間中、人々は火をつけたままのグロムニツァを持ったままです。ミサが終わると、教会によっては皆で火のついたグロムニツァを持ったまま町の中を行進します。敬虔なカトリック信者は、この聖なる火が家庭に幸せや喜びをもたらしてくれるという習慣から、帰宅するまでグロムニツァの火をつけたままにしておき、部屋に飾ってあるイエス・キリストや聖母マリアの絵や像の前に立てておくのだそうです。 この日は国民の祝日ではないため、学校や会社、商店などはお休みにはなりません。 (写真はwikipegia.org.pl、garnek.plのものです) 関連記事 / Related posts: 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日 主の昇天の祝日 (Wniebowstąpienie Pańskie) – ポーランドの祝祭日 ポピエレツ (Popielec) – ポーランドの祝祭日 ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日

ホインカ (Choinka)

12月に入ると町にはサンタクロースやクリスマスツリー、イルミネーションが飾られ始め、ショッピングセンターではクリスマスプレゼント用にラッピングされた商品が所狭しと並べられます。クリスマスの一週間くらい前になると、郵便局はクリスマスカードを送る人たちでごった返します。ワルシャワでは毎年旧市街の王宮広場に大きなツリーが立てられ、夜はライトアップされて道行く人の目を楽しませてくれます。町のあちこちにクリスマスツリー(choinka-ホインカ)の売り場が現れるのもこの頃です。 ポーランドのクリスマスツリーは生木が主流で、郊外の広い公園の隅などではあらゆる大きさのツリーが並んで売られているのをよく見ます。このツリーを買って、それぞれ自宅で飾り付けて楽しみます。最近はプラスチック制のツリーも売っていますが、やはりツリーは生木!というポーランド人は多いようです。クリスマスのプレゼントはこのツリーの下に並べられます。 さてこのクリスマスツリー、いつまで飾っておくものなのでしょうか?ポーランド人は1月6日の公現祭の日、もしくは公現祭の次の日曜日、そして2月2日の聖燭祭の日の3つのうちのどの日かをそれぞれ選んでいるようです。     関連記事 / Related posts: ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日 ポーランドのイースターパーム(Palma Wielkanocna) 復活祭に向けて イースター(ポーランドの祝祭日)

ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日

ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post)はポーランド語で四旬節のことです。四旬節はカトリック教徒にとって一番重要な日である復活祭(イースター)に向けての準備期間のことを指します。 四旬節は「40日の期間」という意味です。イエス・キリストが荒野で40日断食をしたことに由来していますが、日曜日には断食をしなかったことから、実際には復活祭の46日前の水曜日から始まります。この水曜日は「灰の水曜日(Popielec)」と呼ばれており、この日には教会で頭や額に灰をふりかけてもらいます。 四旬節の最中は節制した生活を送らなければなりません。ごちそうや娯楽、パーティなども控えます。また、この時期に結婚式を挙げるのもあまり良しとされていません。日本で大斎と呼ばれるカトリックの断食ですが、実際にはポーランドでは断食と言っても肉類を控えたり、たばこやアルコール、お菓子などの嗜好品を節制するだけことが多いのだそうです。ちなみに敬虔なカトリック信者は四旬節だけでなく、年間を通して毎金曜日には肉類を採りません。これは日本では小斎と呼ばれています。 関連記事 / Related posts: 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日 ポピエレツ (Popielec) – ポーランドの祝祭日 聖土曜日(Wielka Sobota) – ポーランドの祝祭日 聖霊降臨祭 (Zesłanie Ducha Świętego) – ポーランドの祝祭日

マキシミリアン・コルベ神父 (św. Maksymilian Kolbe)

マキシミリアン・マリア・コルベ(Maksymilian Maria Kolbe)神父(出生名ライムンド・コルベ Rajmund Kolbe)は1894年にポーランドのズドゥンスカ・ヴォラで生まれました。 聖母マリア信仰の強い家庭で育ち、その後コンベンツァル聖フランシスコ修道会に入会、ルヴフ(現在はウクライナのリヴィフ)にあるコンヴェンツァル聖フランシスコ修道会の小神学校に入学。1911年の初請願の際にマキシミリアンの名前を与えられました。その後ローマに留学、数学・物理学・哲学そして神学を学びました。 1917年6人の仲間とともに「無原罪の聖母の騎士信心会」を設立。クラクフにある大神学校の教会史の教授として3年間勤めましたが、結核のためその後ザコパネで療養生活をしていました。 1927年にはワルシャワから40キロほどのところにあるテレシンの町にニエポカラヌフ修道院を創立。「無原罪の聖母の騎士」という小冊子を発行して宣教に力を入れました。 当初は中国での布教活動を考えていたコルベ神父ですが、政情の不安定さを心配した友人の提案で上海を経て日本に向かうことになります。1930年4月長崎に上陸したコルベ神父は、翌月には大浦天主堂下の木造西洋館に聖母の騎士修道院を開き、印刷事業を開始、「無原罪の聖母の騎士」日本語版を一万部発行しました。翌年には聖母の騎士修道院を設立。、聖母の騎士誌の発行と布教活動に専念します。また、大浦神学校では教授として生徒達に哲学を教えていました。 執筆中のコルベ神父 1936年、ニエポカラヌフ修道院の院長に選ばれたためポーランドに帰国。ラジオや出版物を通して更なる布教活動に専念しました。 第2次世界大戦が始まると修道院はドイツ軍によって荒らされ、修道士達も逮捕されました。一度は釈放されたもののまた逮捕されたコルベ神父はまずワルシャワのパヴィアック収容所へ、その後アウシュヴィッツ強制収容所へ送られました。 1941年7月、収容所から脱走者が出ました。脱走者が見つからないと、連帯責任として無作為に選ばれる10人が死刑に処せられることになっていました。死刑囚を選別している最中、不幸にも選出されてしまったフランチシェック・ガヨヴニチェク(Franciszek Gajowniczek)というポーランド人軍曹が突然「私には妻子がいる」といいながら泣き崩れました。その時そこにいたコルベ神父は静かに列の前に出て、「私は妻子あるこの人の身代わりになりたい」と所長に申し出ました。今までそんな言葉を聞いたこともなかった所長は驚いたものの、それを許可し、コルベ神父は9人の囚人とともに餓死牢へ連行されていきました。 この餓死牢は「死の地下室」と呼ばれ、パンも水も与えられず、ほとんどの囚人は叫び、呻きながら半狂乱になって死んでいきました。しかしコルベ神父が餓死牢に入れられたときは、中からロザリオの祈りや賛美歌が聞こえてきました。他の囚人たちもみな一緒に歌っていました。時折牢内の様子を見に来た通訳のブルーノ・ボルゴヴィエツ(Bruno Borgowiec)氏は、牢内から聞こえる祈りと歌声によって餓死室は聖堂のように感じられた、と証言しています。 牢に入れられてから2週間後の8月14日、当局はコルベ神父を含めたまだ生き残っていた4人に毒物を注射して殺害しました。注射をされるとき、コルベ神父は祈りながら自ら進んで手を差し出したそうです。通訳のボルゴヴィエツ氏はいたたまれなくなり、口実をもうけてその場から逃げ出しました。少し時間が経ってからコルベ神父のもとへ行ってみると、「神父は壁にもたれてすわり、目を開け、頭を左へ傾けていた。その顔は穏やかで、美しく輝いていた」そうです。 コルベ神父は1971年10月10日にパウロ6世によって列福され、1982年10月10日にポーランド出身の教皇ヨハネ・パウロ2世によって列聖されました。列福式および列聖式の場にはガヨヴニチェック氏の姿もありました。ガヨヴニチェック氏はその後ザクセンハウゼン収容所に送られたものの奇跡的に終戦まで生き延びて解放され、亡くなるまでずっとコルベ神父に関する講演を世界各地で続けました。1998年にはロンドンのウェストミンスター教会の扉に「20世紀の殉教者」の一人としてコルベ神父の像が飾られました。 関連記事 / Related posts: 関連記事がありません / No related posts.

ポーランドで気を付けたいこと・教会編

カトリック信者が国民の大半を占めるポーランド。大都市にも小さな村にも、どこに行っても教会があります。ワルシャワの聖十字架教会やクラクフの聖マリア大聖堂を訪れたことのある方もいるのではないでしょうか?今回は教会を訪れるときに気を付けたいことをまとめました。 ・露出の激しい恰好で中に入らない 女性はミニスカートやキャミソール、男性もタンクトップやハーフパンツなどは避ける。ビーチサンダルもNG。 ・帽子をかぶっている場合、男性は中に入るときに必ず帽子をとらなければいけない 女性の場合はとらなくてもOK。 ・うるさくしない 基本的に私語厳禁。どうしても必要な場合は小さな声で。もちろん携帯電話はマナーモードに設定しましょう。 ・食べ物・飲み物を手に持ったまま入らない 中での飲食は厳禁です。 ・写真を撮るときはフラッシュをたかない ほとんどの教会でこの注意書きが見られます。また、教会の中で自撮り(セルフィー)するのも避けましょう。 ・ミサが行われている時はできるだけ入らない 教会によっては「ミサ中の観光禁止」と書いてあるところもあります。入る場合は、邪魔にならないように後ろや横の方へ行きましょう。 観光客にとってはただの観光スポットでも、信者さんたちにとっては祈りを捧げる神聖な場所です。彼らの邪魔をせず、失礼のないように心がけたいものです。     関連記事 / Related posts: ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 ポーランドのカーニバル ポーランドの世界No.1 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日

ヨハネ・パウロ2世博物館 (Muzeum Dom Rodzinny Jana Pawła II)

ポーランド人の誇りといえば第264代ローマ教皇であった故ヨハネ・パウロ2世(在位1978~2005年)。2014年4月27日に列聖が宣言されました。 彼の生まれ故郷であるヴァドヴィツェ(Wadowice)にあるヨハネ・パウロ2世博物館が4月9日、4年近くにわたる改修作業を終えて再オープンし、記念式典にはドナルド・トゥスク首相やスタニスワフ・ジヴィシュ枢機卿などが出席しました。 この博物館は1920年にカロル・ヴォィティワ(Karol Wojtyła)として生まれたヨハネ・パウロ2世が実際に18歳まで住んでいた建物で、ここでは幼少時代・青年時代について知ることができます。初めての聖体拝領のときの写真や家族写真、衣類や死の間際に読まれた聖書、逝去後世界中のカトリック信者から寄せられた手紙などを見ることが出来ます。 また、イタリア法務省より3年契約で貸し出されている、1981年バチカンのサンピエトロ広場で狙撃され重傷を負った際に犯人が使用した銃も展示されています。 ヨハネ・パウロ2世博物館 Dom Rodzinny Jana Pawła II ul. Kościelna 7, 34-100 Wadowice tel. 33 823 35 55 http://www.domjp2.pl/ 関連記事 / Related posts: 「ポーランドのユダヤ人歴史博物館」がヨーロピアン・ミュージアム・オブ・ザ・イヤー2016を受賞! ヴィラヌフ宮殿博物館(Muzeum Pałacu Króla Jana III w Wilanowie) 自動車博物館 (Muzeum Motoryzacji i Techniki) ワルシャワ・ネオンミュージアム (Muzeum Neonów) トレブリンカ強制収容所 (Muzeum Treblinka)

ヴァムビエジツェ (Wambierzyce)

ヴァムビェジツェ(Wambierzyce)という町は、ヴァウブジフの近くにありキリスト教徒の巡礼地として有名だ。その巡礼所の一つに、女性が吊るされた十字架がある。また、この町には、ヴァンパイアの様に、実際に棺で寝ている変わり者がいるそうだ。 その他にも、この辺りは自然が豊かでブオンドネスカウィ(Bledne Skaly)という変わった形をした岩肌やヤスキニャニェジヴェジャ(Jaskinia Niedzwiedzia)という有名な洞窟などもあり、風月を友にしてバカンスを過ごそうという人にはもってこいのスポットだ。しかし、道のりはポーランドには珍しく山道でカーブも多いので気を付けて。 この町の至る所に、信者が巡礼できる様に 聖書に基づいた巡礼所が設けてある。その中のひとつに世界でも珍しい女性が吊るされた十字架がある。実際に日本のお遍路さんの様に巡礼している人も見かけられる。 ヴァムビェジツェ Wambierzyce ヴァムピエジツェという町はとても信心深い町。この教会は神に啓示を受け歩行渉外から解放された人のために建てられた。教会内部の壁には、実際に神を信じて歩ける様になった人達の今まで使っていた松葉杖などが掛かっている。   (写真はdziedzictwo.ekai.pl, verdemontana.plのものです) 関連記事 / Related posts: チェンストホーヴァ (Częstochowa) クドヴァ・ズドゥルイ (Kudowa Zdrój) カルパチのバイキングの教会 (Świątynia Wang w Karpaczu) ヨハネ・パウロ2世博物館 (Muzeum Dom Rodzinny Jana Pawła II) マルボルク城 (Muzeum Zamkowe w Malborku)

ポーランドの宗教

スラブ系で初めて、そして約500年ぶりに非イタリア人のローマ教皇に就いたヨハネ・パウロ2世の祖国ポーランド。統計年鑑(2016)に因ると、国民の実に92%がカソリック信者と分類され、これは世界一を示しています。確かにポーランドでは教会も多く、頻繁に集会が行われているし、町中で神父さんや修道女を見かけることも良くあります。 もっとも、皆が皆、毎週日曜のミサは欠かせないというような敬虔な信者とは限りません。離婚率も2016年度で約36.4%(婚姻数÷離婚数)と相当なものです。しかし、国民の多くは自身をキリスト教信者と意識しており、いわゆる冠婚葬祭にもキリスト教は密接に絡んでいます。クリスマスや復活祭、洗礼、聖体拝受など子供の頃から宗教的な行事に参加し、小学校の授業にも「宗教(=キリスト教)」があり、キリスト教的道徳を学んでいます。 ところで、ポーランドには全国で29,737人の神父がいますが、この数はイタリア、アメリカに次ぐ世界3位、全ヨーロッパの神父の約15%、全世界の神父の約7%がポーランド人という計算になります。 一方、修道士は1,075人、修道女は21,892人で、どちらもフランス、スペイン、イタリアよりもかなり低い数字になっているのは意外ですね。 それでは一体ポーランドに教会はいくつあるのでしょうか?これも統計年鑑で見てみると、ローマ・カソリック教会だけで10,200、正教会やプロテスタントなどを含めると、11,784(新興宗教は除く)に上ります。参考までに書くと、ワルシャワの旧市街には10、クラクフの旧市街には17もの教会があります。 これらの教会は全て教会管区に属していますが、ポーランドには14の教会管区及び大司教区があり、27の司教区、1,057の教区があります。こう言っても多いのか少ないのかわからないですよね。例えばお隣のチェコの場合だと、大司教区が2つ、司教区は8つしかありませんから、断然ポーランドの方が多いということになります。 こういった教区は行政区分とは全く関係なく存在します。例えばルブリン管区はルブリン、シェドゥルツェ、サンドミェシュと3つの司教区がありますが、これらはそれぞれルブリン県、マゾフシェ県、ポド・カルパチェ県に属しています。 カソリック教会ではそれぞれの国の総括本部のような機関はなく14の管区は平等です。とはいえ、神父の数が最も多いのはやはりクラクフ司教区で、教会の数も聖職者の数も群を抜いています。 また、これら司教区以外に軍人やその家族のための教区があり、ポーランド全土及び軍の派遣先での活動を行っています。軍人のための教区なので地域が限定されず全国、そして海外にまで及びますが、この教区のシンボルとなる大聖堂(カテドラ)はワルシャワの蜂起記念碑の前にあります。ちなみにこの教区は陸軍、空軍、海兵隊などの8つの小教区で構成されていて、聖職者であっても、軍の階級を持っているそうです。 それともう1つ、、1989年よりオプス・デイの特別教区があります。オプスデイの正確な説明はできませんが、世俗的な環境の中で信仰を行っていく国際的な活動団体という理解で良いでしょうか。一部、映画などで歪曲されて紹介されたり、カルト的集団と誤解されているところもありますが、ヴァチカンが認可している正式なキリスト教の組織です。そしてその認可を公式に行ったのがヨハネ・パウロ2世でした。   関連記事 / Related posts: 世界から見たポーランド(産業編) ポーランドの行政区分 ポーランドの世界No.1 ポーランド人の血液型