法王フランシスコ、ポーランドを初訪問

7月27日、ローマ法王フランシスコがクラクフで開かれている「世界青年の日(ワールド・ユース・デー)に参加するためにクラクフを訪問しました。現法王がポーランドを訪問するのは初めてのことです。 クラクフ・バリツェ空港でポーランド共和国大統領夫妻の歓待を受けた法王はその後ヴァヴェル城で公式の演説を行い、その後アンジェイ・ドゥダ大統領と会談を行いました。会談後はヴァヴェル城内の大聖堂でポーランドの司教たちと談話。夜にはクラクフのフランチシュカンスカ通りにある大司教の館の窓から、集まった信者たちに向けて演説を行いました。 28日にはポーランドのカトリックの総本山であるチェンストホヴァのヤスナ・グラ修道院を訪れ、ポーランドの受洗1050年記念のミサを捧げる予定。29日は国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館やクラクフの小児病院を訪れることになっています。 (写真はwPolityce.plのものです) 関連記事 / Related posts: ”無料の11月” – Darmowy listopad ポーランドで初の「光る自転車道路」完成 ワルシャワ:大晦日の打ち上げ花火取りやめ ヴァムビエジツェ (Wambierzyce)

ヨハネ・パウロ2世 (Jan Paweł II)

ヨハネ・パウロ2世(ポーランド語ではヤン・パヴェウ・ドゥルギィ – Jan Paweł II)はポーランド出身の第264代ローマ教皇です。(在位:1978年10月16日‐2005年4月2日) 史上初のスラヴ人教皇であるヨハネ・パウロ2世(本名カロル・ユゼフ・ヴォイティワ‐ Karol Józef Wojtyła)は、1920年5月18日、ポーランドのヴァドヴィツェ(Wadowice)で父カロル・母エミリアの次男として生まれました。8歳のとき母を、11歳のとき兄をなくし、父の手で育てられました。その後クラクフのヤギウェオ大学に入学しポーランド文学を専攻。1939年、ドイツ軍のポーランド侵攻によって大学が閉鎖、さらには翌年父が他界。生活のために肉体労働に従事しながら、勉学と演劇活動に打ち込みます。この間に聖職者への志が芽生えましたが、公式には神学校の運営が禁止されていたために非合法の地下新学校へ入学。1946年11月11日に司祭に叙階されました。同年、ローマのアンジェリクム神学大学に送られ、1948年に神学博士号を取得。その後帰国し、クラクフの教区司祭として勤めました。その後、ルブリン・カトリック大学やクラクフ・カトヴィツェなどの神学校で倫理神学を教え、1958年にはクラクフ教区の補佐司教に、1964年にクラクフ教区の大司教に、そして1967年には枢機卿に新任されました。 1978年、当時の教皇パウロ6世の死去に伴い新教皇に選出するためのコンクラーヴェに参加。選出されたのは当時65歳のヨハネ・パウロ1世でしたが、在位33日にして教皇が死去してしまったため、同年10月に再びコンクラーヴェが行われた結果、第264代目の教皇として選出され、ヨハネ・パウロ2世と名乗りました。 教皇登位後は、最初の訪問国であるメキシコを初めとして、2003年の最後の訪問国であるスロバキアまで100カ国以上を訪問し、「空飛ぶ教皇」と呼ばれました。民族や宗教・国を越えた対話を目指し、各国のリーダーや政治家、宗教関係者との会見も積極的に行いました。また、すべての命と人権の擁護、戦争や暴力に反対するなど、平和への活動にも取り組みました。国民の90%以上がカトリック信者だった社会主義時代のポーランドでは、教皇の存在が国民の精神的な支えとなり、後の民主化に大きな影響を与えたと言われています。 2005年2月からインフルエンザによる喉頭炎で入退院を繰り返し、4月2日に逝去。教皇逝去の知らせを受け、世界中から500万人がバチカンに集まったといわれています。 ヨハネ・パウロ2世は2011年5月11日に列福、2014年4月27日に列聖されました。 関連記事 / Related posts: ヨハネ・パウロ2世逝去 ヨハネ・パウロ2世列聖 ポーランドのノーベル賞受賞者 クシシュトフ・キエシロフスキ(Krzysztof Kieślowski) ルドヴィク・ザメンホフ (Ludwik Zamenhof)

聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日

イースター前の木曜日のことをポーランド語でヴィエルキ・チファルテック(Wielki Czwartek)といいます。 聖木曜日はイエス・キリストと使徒達の最後の晩餐を記念する日です。この日は朝、大聖堂で司教によるミサが行われます。このミサの最中に司祭の制定式が行われるほか、洗礼や葬式の際に使用される香油を祝福する儀式があります。 る夜になると大聖堂以外の教会でミサが行われます。この聖木曜日で40日間に渡る断食期間が終わります。このときからTriduum Paschalneと呼ばれる、キリストの復活までの道のりを象徴した日々が始まります。キリストは木曜日に使徒たちと共に最後の晩餐をし、金曜に十字架にかけられ、日曜日に復活しました。そのため金曜日は受難(Męka)、土曜日(Smierć)、そして日曜日は(Zmartwychstań)の日と象徴されています。 関連記事 / Related posts: オスタトキ(Ostatki) – ポーランドの祝祭日 ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖金曜日(Wielki Piątek) – ポーランドの祝祭日 脂の木曜日(Tłusty Czwartek) – ポーランドの祝祭日 ポピエレツ (Popielec) – ポーランドの祝祭日

イースターのお話 (キナコママのワルシャワ滞在記)

イースターは日本ではあまり馴染みがない日ですが、ヨーロッパの人たちは、イースターになって春が来るという感じで待ち望んでいます。イースターの数週間前から、街のお店はうさぎやたまご、ひよこの飾り付けがされて、チョコレートもたくさん売られています。ポーランド食器もたまごのオーナメントがありました。またお花屋さんにはパルマと呼ばれる羽のような飾りがたくさん売っています。息子が通う幼稚園で行われたイースターバザーでは、ポーランド人のママさんたちが慣れた手つきで作っていたので、家庭でも作るものかもしれません。 今年のイースターの日は4月5日日曜日でした。この祝日は毎年日付が変わります。ポーランドでは翌日6日月曜日もお休みでした。ポーランドは普段日曜日もスーパーやショッピングセンターなどは開いているので、お買い物にも大変便利なのですが、祝日はほぼ全部のお店が閉まっています。 イースターでは卵をたくさん食べるそうで、前に卵料理のバリエーションを増やしたいとのことで、ゆでたまごの醤油漬けのレシピを聞かれたことがあります。また、脂の木曜日、ポンチキというドーナッツを食べる日から敬虔なキリスト教徒の方たちは、脂こいものを控えているとのことでこのイースターでケーキなどが解禁となるようです。うちでもマズレックmazurekというケーキを買ってみました。クッキーとケーキの間のようなお菓子で、間にジャムが挟んでありました。とても甘いケーキでした。 イースターが終わり、また日常の生活に戻りました。お天気も良くなり、すっきり青空が見え、また暖かくなってきました。ポーランドにも春が来たようです。 関連記事 / Related posts: ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日 地下鉄に乗って、サバを買いに行こう:その1(キナコママのワルシャワ滞在記) イースター(ポーランドの祝祭日) ママ・クマシュカの子育て日記:幼稚園のクリスマス

ポーランドのカーニバル

ブラジルではイースター前の土曜日~火曜日の4日間に行われるリオのカーニヴァルが有名 水曜は灰の水曜 水曜からWielki post大斎 この期間を四旬節という イースター前には脂の木曜などなど Ostatki popielec 本記事:大斎(だいさい、ラテン語:jejunium)は、カトリック教会における大斎を扱う(「大斎」は教派ごとに、漢字の読みと内容が異なっている)。 イエス・キリストの受難に心をはせるために行う食事制限のことで、「1日に1回十分な食事を摂り、あとの2食は少ない量に抑えること」が基本的な形である。第2バチカン公会議以降は、18歳以上60歳未満の健康な信徒に対して四旬節中の灰の水曜日と聖金曜日に行うことが求められており、通常は小斎とセットになっている。しかし、病人や妊娠中の者、特別な事情がある者は免除される。 第2バチカン公会議以前は毎週水曜日と金曜日が大斎日とされており、聖体拝領の前にも断食を行うことが求められていた。 関連記事 / Related posts: 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日 イースターのお話 (キナコママのワルシャワ滞在記) ポーランドで気を付けたいこと・教会編 脂の木曜日(キナコママのワルシャワ滞在記) 聖土曜日(Wielka Sobota) – ポーランドの祝祭日

ヨハネ・パウロ2世列聖

  歴史上初のポーランド人教皇でありポーランド国民の誇りである第264代ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世(1920-2005)と、第261代ローマ教皇ヨハネ23世の列聖式が、今月27日日曜日にバチカンで行われます。 この2人のローマ教皇の列聖式には世界中から数百万人がバチカンを訪れると予想されており、またヨハネ・パウロ2世の母国であるポーランドからも数十万人が列聖の瞬間に立ち会おうとバチカン入りすると言われています。 ヨハネ・パウロ2世の列聖は死後9年という異例の早さです。ローマ・カトリック教会では「列聖」される前の段階に「列福」というものがあり、これらに認められるためには、本人が関係した奇跡が証明されなければなりません。ヨハネ・パウロ2世の場合は、フランスに住むマリー・サイモン・ピエール修道女の奇跡です。ヨハネ・パウロ2世と同じく重度のパーキンソン氏病を患っていたマリー修道女が、ヨハネ・パウロ2世が逝去して2ヶ月経った2005年6月、病気が良くなるように祈っていたら、彼女を悩ませていた病気の症状が一夜のうちにして消えたというものです。この奇跡はバチカンの奇跡調査委員会によって公認されました。 また今回の列聖式は、現教皇フランシスコと共に前教皇ベネディクト16世が同席する予定。教皇が二人同じ式に同席するというきわめて珍しい事態にも注目が集まっています。 列聖のミサは2014年4月27日日曜日の午前10時、バチカンのサン・ピエトロ広場にて行われます。この様子はTVP1, TVP INFO, TVP POLONIAで生中継されることになっています。 関連記事 / Related posts: ヨハネ・パウロ2世逝去 ヨハネ・パウロ2世 (Jan Paweł II)

ポーランドの世界No.1

  ポーランドにある「世界一」をいくつかご紹介します。 世界一大きいキリスト像 ルブスキ県のシフィエボジンという町に2010年に建てられた、高さ36メートル、重さ400トンのキリスト像。それまでに世界最大だったリオ・デ・ジャネイロのキリスト像よりも4メートル高い。   世界一大きなピアノ ポモルスキ県のシンバルクという町で、2010年にポーランドの作曲家であるフレデリック・ショパンの生誕200周年を記念してつくられた。Stolemewi Klawer(ストロメヴィ・クラヴェル‐この地方の民族であるカシューブ人の言葉でグランドピアノという意味)と名づけられたこのピアノは長さ6.06メートル、幅2.52メートル、高さ1.87メートルの巨大なもので、重さは2トン。巨大な本体を支える6本の足にはそれぞれフレデリック・ショパン、スタニスワフ・モニューシュコ、イグナツィ・パデレフスキ、ミエチスワフ・カルウォヴィチ、カロル・シマノフスキそしてミコワイ・グレツキというポーランドの偉大な作曲家達の肖像画と名前が彫られている。2010年12月30日の除幕式では有名なポーランド人ジャズピアニストのレシェック・モジジェルなどが演奏した。   世界一大きい本体部分が木製の時計 グダンスクの聖マリア大聖堂にある、高さ14メートルの天文時計。ハンス・デリンゲルにより7年歳月をかけて作られ、1470年に完成した。天文学部分、暦部分、人形劇の3つの部分からなる。なお、現在は動いていないが、再開にむけて作業が進められている。   世界一小さい自転車 1999年にヴィエルコポルスキ県のプレシェヴァという町に住む、ズビグニエフ・ルジャネック氏が作ったもの。前輪の直径は11ミリ、後輪の直径は13ミリ。   世界一大きいボールペン 前述のルジャネック氏が1999年につくったもので、長さ250センチ、重さ17キロ。インクを入れると重さは100キロになる。このボールペンで48キロメートルの長さの線が書けるそう。   世界一古い映画館 シュチェチンにある、”Kino Pionier1909″という、1909年から営業している映画館。「世界で最も古い映画館」としてギネス認定されている。 関連記事 / Related posts: ポーランドの宗教 チェンストホーヴァ (Częstochowa) クドヴァ・ズドゥルイ (Kudowa Zdrój) ヴァムビエジツェ (Wambierzyce) ポーランドの自然

いのちの窓 (Okno Życia)

  ワルシャワの中心部、にぎやかなマルシャウコフスカ通りを曲がって少し歩いていくと、「Okno Życia(いのちの窓)」と書かれた小さな窓があります。 これは福祉・慈善活動行っているカリタス・ポーランドによるもので、2006年3月にクラクフで始められました。生まれてきた子供をを育てることのできない親が、思いあまってその子を捨てたり殺害したりしなくても済むよう、匿名で赤ちゃんを安全に置いて行ける場所です。 窓のなかには小さなベッドがあり、夏は適度に涼しく、冬は暖かくされています。窓が開くと、中の職員にそれを知らせるアラームが鳴り、すぐに職員が新生児を保護、救急車に連絡します。赤ちゃんは救急車が来るまでは保育器に入れられ、その後病院で精密検査を受けます。 日本では熊本の慈恵病院の「こうのとりのゆりかご」がこれにあたりますが、ポーランド国内ではすでに51箇所が設置されており、これまでに71人の赤ちゃんが保護されています。その状態も様々で、ひとめで病院で生まれたとわかるようなきちんとケアされた子から、生まれたばかりで胎盤が付いているままの子もいたそうです。最近でもワルシャワで女児が、チェンストホーヴァでは生後3日程と思われる男児が保護されています。 クラクフの「いのちの窓」を管理しているカリタス・クラクフ支部では、生まれてくる子供を育てていけない女性達に「いのちの窓」の存在を知ってもらうキャンペーンを行っていますが、これはもちろん、出産が母親にとっても子供にとっても不幸な結果をもたらさないようにするためだそうです。保護された赤ちゃん達は法的なプロセスを経て、養子縁組によって新しい人生を歩んでいきます。     カリタス・ポーランド公式ホームページ (ポーランド語のみ) 関連記事 / Related posts: ママ・クマシュカの子育て日記:幼稚園のクリスマス おすすめの病院 ポーランドで出産した人に聞いてみた ポーランドでの出産を考えている人にアドバイス チャリティ財団WOŚP

聖母の被昇天の祝日 / Wniebowzięcie Najswiętszej Maryi Panny

8月15日は聖母の被昇天の祝日と呼ばれる日です。 15 sierpnia obchodzone jest w Polsce święto Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny. 聖母の被昇天の祝日とは、「無原罪の聖母が地上の生涯の終わりにからだも魂もろとも天にあげられた」と1950年に 教皇ピオ12世によって定義されたように、マリアが栄光につつまれて天国へ上げられたことを祝う日のことです。 Święto Wniebowzięcia NMP zostało ustanowione przez papieża Piusa XII w 1950 roku. Dzień ten ma być dniem chwały Maryi, której niepokalana dusza wraz z ciałem pod koniec życia została podniesiona na niebiosa. 5世紀のエルサレムでは、8月15日にマリアを神を生んだ“神の母マリアの日”として祝っていました。その後6世紀には、マリアの永眠の日として東方教会で祝われるようになりました。これはマリアが天に召されたことと、永遠のいのちのうちに誕生したことを記念していたようです。その後この習慣は7世紀頃から西方教会に受け継がれ、そこでも祝われるようになったそうです。 W Jerozolimie już od V wieku 15 sierpnia obchodzone było święto ”Maryi Matki Boga”. W VI wieku święto było obchodzone również przez Kościół Wschodni, jako data śmierci Maryi. W VIII wieku cesarz rzymski Mauritius zaczął określać ten dzień, jako “Wniebowzięcie Matki Boskiej”. ローマ皇帝マウリチウスは、この祝日を国際日として定めたため、7世紀になるとほとんど全教会で祝われるようになり、8世紀には、「聖母の被昇天」と呼ばれるようになりました。 この日8月15日はポーランドでは国民の休日で、会社やお店など全てが休業します。各地の教会でこの聖日を祝うミサが行われますが、“黒い聖母”の絵で有名なチェンストホーヴァのヤスナ・グラ修道院にはこの日にあわせて国内のさまざまな地域から多くのカソリック信者が巡礼に訪れます。中には自転車で巡礼をする人たちもいるのだとか。 W Polsce święto Wniebowzięcia Najświętszej Maryi Panny jest świętem narodowym. Wszystkie sklepy są zamknięte, firmy nie pracują. Msza z […]

教会離れ 国民の92%はカトリック教徒なのに?

  毎年約40万人が教会から離れている。2005年4月のローマ法王死去前後に各教会は信者で溢れかえったが、それは一時的な現象に過ぎなかったことがこの度明らかになった。 「数字は嘘をつかない」とヴィトルド・ズダニェヴィッチ神父は語る。氏はカトリック教会統計研究所所長であり、教会に関する統計を見せながら、ここ25年間にわたり、毎週日曜日のミサへの信者の出席率がどのように変わってきたのかを説明する。 80年代、毎週日曜日に教会へ通ってくる信者は全信者の60%にも及んでいた。1991年に初めて50%を割り、それ以降、二度と増加することはなかった。2004年度の教会統計研究所のデータによると、減少傾向は年々強まっており、2000年には47,5%、2004年に43%となっている。これを計算すると、教会へ通う信者は毎年40万人づつ減少していることになるという(シュチェチン市やルブリン市の全人口に相当する)。今後、この傾向が続いていくと、20年後にミサに参加する信者は20%に程度になってしまうという。しかしポーランド人の92%は自分はカトリック信者であると明言している。 ちなみに町単位で、最も教会へ通う率が高いのはタルヌフ(69%)、ジェシフ(66,5%)、プジェミシル(63,4%)等。逆に最も通わないのはウッジで30%だという。   関連記事 / Related posts: 関連記事がありません / No related posts.

復活祭に向けて

  8日に迎えるイースターに向け、今町のあちこちでイースター・エッグやイースター・バニーなど様々なイースターに関係するものが見られる。学校などもイースター休みに入り、学生達も帰省を始めた。 ポーランドでは復活祭の翌、月曜日の朝、男の子が女の子に水をかける風習がある。しかし、これについて、ただの風習と考えてはいけない。実際に月曜日の朝、水鉄砲どころか水いっぱいのバケツを持った少年が通りかかる人々を待ちうけている!!! だれかれ構わず水をかけてくるので要注意! 関連記事 / Related posts: ヴィエルキ・ポスト(Wielki Post) – ポーランドの祝祭日 聖体の祝日(Boże Ciało) – ポーランドの祝祭日 聖母の被昇天の祝日 (Święto Wniebowzięcie Najświętszej Maryi Panny) – ポーランドの祝祭日 聖木曜日(Wielki Czwartek) – ポーランドの祝祭日 聖土曜日(Wielka Sobota) – ポーランドの祝祭日

ヨハネ・パウロ2世逝去

  ポーランドの出身のローマ法王、ヨハネ・パウロ2世は2005年4月2日21時37分(日本時間:3日午前4時37分)、敗血性ショックの為に逝去した。法王の最後の言葉は「アーメン」だったと報道されている。享年84だった。 全ポーランドの教会及び法王ゆかりの地では、ヨハネ・パウロ2世の回復を祈るミサなどが行われ、テレビ、ラジオ、インターネットでは法王の安否を伝える情報一色に染まった。特に4月1日(金)の夜以降は、教会やテレビの前でバチカンからの公式発表に釘付けになる状態が続いた。 4月2日(土)21時37分、全ポーランドの教会からは鐘が鳴り響き、住民たちは窓際で蝋燭を灯した。首都ワルシャワでは聖アンナ教会(王宮広場前)、クラクフでは司教宮殿前(法王が司教時代に住んでいた場所で、法王時代にクラクフを訪れるとここに宿泊した)、また法王生誕の地であるヴァドヴィツェ(クラクフ郊外)などで追悼ミサが行われ、法王の冥福を祈った。蝋燭は一晩中灯り続けた。同夜、クファシニェフスキ大統領は異例の記者会見を開き、法王の葬式の日までポーランドの喪期とすると発表した。更にベルカ首相は法王の葬式日を臨時休日にするよう呼びかけた。これを受けて、劇場、コンサート・ホール、各種イベント等がキャンセルされ、4月3日にもスーパー、小売店が臨時休業した。 法王逝去翌日の4月3日には、ワルシャワのピウツスキ広場に10万人、4月4日には20万人が集った。クラクフではブオーニャ公園、ワギェヴニキなどに多くの人々が集まった。公的機関から民家まで、半旗や黒帯を掲げ喪に服した。 4月5日からは法王に最後の別れを告げるポーランド人たちがローマに向かい、特別列車、チャーター機が飛ばされた。ローマに訪れたポーランド人は約200万人に上った。このためローマに向かう高速道路(オーストリアやイタリア)は大渋滞を招いたほどだった。 またポーランド国内では、新しく生まれる赤ちゃんに法王の本名である「カロル」やヨハネ・パウロのポーランド語読みである「ヤン・パヴェウ」という名前を付ける両親が増えている。女の子の場合でも「カロル」に極めて似ている「カロリーナ」という名前を付ける両親もいるという。 現在、法王の記念碑をはじめ、新規祭日などを設けるという案件もあり、ヨハネ・パウロ2世=カロル・ヴォイティワは、いつまでもポーランドとポーランド人たちの中で生き続けるであろう。 (写真はwyborcza.plのものです) 関連記事 / Related posts: ヨハネ・パウロ2世列聖 ヨハネ・パウロ2世 (Jan Paweł II)