ワルシャワから西に約54kmのところに、ジェラゾヴァ・ヴォラという村があります。車だと1時間半ほどの距離ですが、ワルシャワの喧騒とは全く違うのどかな田園風景が広がっています。ここはポーランドが誇るピアノの詩人、フレデリック・ショパンが生まれたところです。 フレデリック・ショパンの母ユスティナ・クシジャノフスカはこの一帯の領主であったスカルベク公爵家の侍女をしていた時、スカルベク家の子息の家庭教師をしていたフランス人のミコワイ(ニコラ)・ショパンと出会い結婚。1810年3月1日にフレデリックが誕生しました。 しかしフレデリックはここで少年時代を過ごしたわけではなく、ショパン一家は1810年の秋にはワルシャワへ引っ越します。ここにはその後、夏休みやクリスマスなどに遊びに来ていたのだそうです。 さてこの「生家」ですが、19世紀末にはすでにショパン博物館にしようというアイデアはあったものの、建物の改築・改装が始まったのは1930年代に入ってからでした。しかし1939年になると第2次世界大戦勃発のため作業は中断。1949年、ショパンの死後100周年に晴れて博物館はオープンしたのでした。 2010年にはショパン生誕200周年に合わせて再び博物館も改装され、まわりの公園も美しく整備されました。2016年よりまた改装工事で休館していましたが、2017年から再び開館しています。 ジェラゾヴァ・ヴォラのショパンの生家では毎年5月から9月の毎週日曜日の12時と15時、ショパンコンサートが行われています。ショパンの生まれた場所で聞く彼の作品もまた格別。ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか? (写真は全てmuzeum.nifc.pl,mwfc.plのものです) 関連記事 / Related posts: ショパンの生家、工事のため一時休館へ ブロフフ (Brochów) ショパン生家、2016年秋から一時休館 ショパンゆかりの場所 ワルシャワ編・その2 ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina)
ワルシャワに来たことのある人なら、聖十字架教会前やコペルニクス像前でショパンの音楽を耳にしたことがあるのではないでしょうか? ショパン生誕200年にあたる2010年、ワルシャワには「ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina – ワヴェチキ・ショぺナ)」なるものが作られました。これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて、ボタンを押すとショパンの名曲が流れます。ボタンを押すと音が流れるため特に子 […]
あっという間に年末が近づいてきました。この時期のポーランドはもうすっかりクリスマスムード一色。イルミネーションやクリスマスのデコレーションが飾られたり、クリスマスプレゼントに頭を悩ませたり、年末の長い休みに向けて、心なしか人々の気分もウキウキしているように見えます。 この時期になると大都市にはクリスマスマーケット(Jarmark Świąteczny – ヤルマルク・シフョンテチヌィ)が登場します。開催場所 […]
1939年9月1日早朝、ドイツ軍がポーランドに侵攻。これを受けて9月3日にはイギリス・フランスがドイツに宣戦布告、第2次世界大戦が始まりました。 ドイツ軍はグディニャ、ヘル半島、シロンスク地方南東部、ヴィエルコポルスキ地方、ワルシャワなどのを空爆。一番最初にドイツ軍の攻撃の被害にあったのはヴィエルンという都市であると言われていますが、ポーランドで第2次世界大戦勃発のシンボルとなっているのは、グダンス […]
トレブリンカ強制収容所はワルシャワから北東に約100km、車で2時間弱のところにあります。ここはナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅を目的とした「ラインハルト作戦」にもとづいて作られた三大絶滅収容所(そのほかにはベウジェツ強制収容所、ソビブル強制収容所)のひとつで、1942年に建設されました。 有刺鉄線が張り巡らされた約17ヘクタールの敷地には30-40人のドイツ人とオーストリア人、100-120人の警備員(そのほと […]
ヴィエリチカ岩塩坑(Kopalnia Soli „Wieliczka”‐コパルニア・ソリ・ヴィエリチカ )はポーランドの有名な観光スポットのひとつで、クラクフから南東へ車で30分ほど走ったところにあります。 この岩塩坑は13世紀から稼動していましたが、安全面の問題で1996年に採掘が中止されました。現在は観光地として賑わっており、廃坑になっていない岩塩坑としては世界最古のもので、1978年にユネスコの世界遺産に登録され […]
毎年8月後半、ワルシャワでは“ショパンと彼のヨーロッパ”国際音楽祭(Międzynarodowy festiwal muzyczny „Chopin i jego Europa” – ミエンジナロドヴィ・フェスティヴァル・ムジチヌィ“ショパン・イ・イェゴ・エウロパ”)が開催されます。 これは2005年より毎年開かれているもので、ショパンという名前は付いているものの演目はショパンだけではありません。ジャンルも古典から現代音楽までさまざまで、シ […]
グルンヴァルドの戦い (Bitwa pod Grunwaldem)とは1410年7月15日、ポーランド王国・リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団の間で行われた戦闘のことです。 この戦闘の舞台は現在ポーランドのヴァルミア・マズールィ県にある、グルンヴァルド村・ステンバルク村そしてウォドヴィゴヴォ村の間にある平原でした。それまでドイツ騎士団はキリスト教布教の名目で各地域を侵略してきました。当時東ヨーロッパでは唯一リトアニア大 […]
海のイメージがあまりないポーランドではありますが、北部はバルト海に面しています。海に面した有名な観光地といえば、昔の面影を残したままの美しい旧市街のあるグダンスク。ポーランドではこの街と近隣2つの街、ソポト(Sopot)とグディニャ(Gdynia)を合わせて“3つ子の街(Trójmiasto – トゥルイミアスト)”と呼んでいます。今回はポーランド人の海水浴の定番であるソポトをご紹介します。 ソポト(Sopot)はグダンス […]
6月21日は夏至の日です。ポーランドを含むスラブ諸国では古代からこの日は水と火、愛と子孫繁栄、そして太陽と月を祝う日であり、占いなどが行われる夏至祭り(Noc Kupały ‐ノツ・クパウィ)の日でした。 この夏至祭りに行われていた占いや儀式はほとんど全てが健康と豊作に関係するものでした。例えば、既婚の女性が焚き火のまわりで踊りながら焚き火にヨモギやセージを投げ入れると、子孫繁栄と豊作にご利益があると言わ […]
ポーランド人の誇りである作曲家、フレデリック・ショパンはワルシャワで育ちました。彼が住んでいた場所はどこでしょうか?ショパンゆかりの地、その2です! サスキ宮殿 ワルシャワ立憲王国時代だった1810年、フレデリックの父がこのサスキ宮殿の一角にあったワルシャワ高等学校の仕事を得たため、ショパン一家はジェラゾヴァ・ヴォラからここへ引っ越してきました1817年サスキ宮殿は軍の所有となったためショパン一家は […]
トルンは、ポーランドで最も美しい都市のなかのひとつ。いまだに中世の時がゆっくりとながれているようで、あわただしい生活に疲れ果てた現代人の心をそっと慰めてくれる。また、夜のヴィスワ川対岸から見た旧市街の眺めはライトアップされていてとても最高で、ロマンチックな雰囲気を満喫できる。ちなみにトルンの旧市街は1997年にユネスコ世界遺産に認定されている。 さらに、トルンはコペルニクスの生まれ故郷としてもと […]
1944年8月1日、ドイツ占領下にあったワルシャワで、ポーランド国内軍そして市民によるドイツ軍に対しての武装蜂起が起きました。これはワルシャワ蜂起(Powstanie Warszawskie – ポフスタニェ・ヴァルシャフスキェ)と呼ばれています。 開始当初はすぐ終わると思われていた蜂起は最終的には63日にも及びました。武器・物資も充分ではなく、連合国側であったソビエト赤軍は先にヴィスワ川右岸のプラガ地区を解放するも蜂 […]