私の日本滞在記

私の日本滞在は1年ほどでした。奨学金はもらえなかったので生計費を稼がなければなりませんでした。飛行機のチケットや出国準備のためのお金を母に出してもらいましたが、その後は自分自身で何とかしなければなりませんでした。
日本に着いてからアパートを借りて、学校の授業料の一部を払ったら、手元にはお金がほとんど残りませんでした。さっさと仕事を探さないと困ったことになりそうです。一週間後ロシア・レストラン「モスクヴィッチ」で仕事が決まりました。しかし、運悪く、ロシア料理は日本人の好みでなかったのか、まもなく「モスクヴィッチ」はつぶれてしまったのです。薄い財布をポケットに、また仕事探しを始めなければなりませんでした。
災いが転じて福が来る」ということわざの支持者である私は、何回も「福」を体験してきました。私が住んでいた静岡市から2時間離れた場所にポーランドの楽団「Capella Cracoviensis」が来日することを知ったのです。
コンサートの後に舞台裏に行ってみました。演奏家たちの話によると彼らは私と同じ静岡に泊まっているというではありませんか!それから3日後、彼らの宿泊している静岡ホテルに雇われました。そして、和食レストランと英語教師のアルバイトも見つかり、3つの仕事と学校の勉強をしながら日本での生活は充実していったのです。
各業務は互いにずいぶん異なったものでした。出会った人々とか作業内容とか要求されること、そしてそれぞれの専門用語、隠語、省略語に戸惑ったこともあります。これらの経験はまた違った角度で日本を知るチャンスでもありました。
それぞれの業種は異なっていましたが、どこにいっても共通していたのは接する人たちの暖かさ(親切)でした。もちろん、私もそんな周りの好意に甘えていたわけではありません。職場のルール、序例、作業に慣れなければなりませんでした。何回も叱責されたこともあります。
そのうちに職場を通じて出会う人々と友情が生まれ、彼らのおかげでいろいろ経験をすることもできました。伝統的なお茶会に参加したり、伝統的な日本の楽器のコンサートに行ったり、能や歌舞伎を観賞したりしました。
現代日本を見て、携帯電話を肌身離さず身につけている金髪の若者、上司のお供で毎晩飲み会で家に帰ることのできないサラリーマン達を知るようになりました。
どの国にも同じように長所と短所があります。日本も同様です。私の滞在は1年たらずでしたが、より多くのもものを吸収できたと思います。幸いなことに近い将来、日本に留学が決まりそうです。今度はどんな経験ができるのか今から楽しみです。
(在ポ 24歳 女性 学生)

(写真はwww.city.shizuoka.jpのものです)