クシシュトフ・キエシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)

クシシュトフ・キエシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)は「デカローグ」や3部作「トリコロール」で有名な、ポーランドの映画監督です。

クシシュトフ・キエシロフスキは1941年6月27日ワルシャワで生まれました。義務教育を終えたあとは消防学校に入学しましたが、わずか半年で退学。1957年には家族のすすめで、彼の叔父が校長を務めていたワルシャワの演劇学校に入学。卒業後は演劇監督になることを夢見るも断念、ウッジの国立演劇大学へ進学しますが、入学試験には2回落第し、3回目でやっと合格したのだそうです。大学在学中の1967年にマリア・カウティッロ夫人と結婚。1972年には娘・マルタが誕生しました。

1976年に初めての長編劇映画『傷跡』でデビュー。1979年に製作した長編ニ作目の『アマチュア』はモスクワ国際映画祭で金賞を受賞しました。1988年から1989年にかけて、聖書の十戒をモチーフとした10編からなるTVシリーズ『デカローグ』を製作。この作品はヴェネツィア国際映画祭で上映され国際映画批評家連盟賞を受賞。後者は第41回カンヌ国際映画祭で審査員賞と国際映画批評家連盟賞を受賞しました。

1991年の『ふたりのベロニカ』はポーランドとフランスを舞台に容姿・名前が全く同じ二人の女性・ベロニカ(イレーヌ・ジャコブの一人二役)の運命を描いた作品で、第44回カンヌ国際映画祭で上映され、二度目となる国際映画批評家連盟賞を受賞しました。1993年からはフランス革命のキーワードであった「自由・平等・博愛」をテーマとした『トリコロール』三部作を製作。ジュリエット・ビノシュ演じる自動車事故で夫と娘を亡くした女性の絶望を描いた『トリコロール/青の愛』は、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を、そしてフランスのアカデミー賞にあたるシーザー賞を3部門で受賞。1994年に発表した二作目、自分を捨てたフランス人の妻に復讐を企てるポーランド人理髪師の姿を描いた『トリコロール/白の愛』は、第44回ベルリン国際映画祭で監督賞を受賞。同年に製作された、人々の孤独をテーマにした『トリコロール/赤の愛』は第47回カンヌ国際映画祭で上映され、パルム・ドール賞受賞が期待されましたが、結局無冠に終わりました(ちなみにその時パルム・ドール賞を受賞したのは「パルプ・フィクション」)。

『トリコロール/赤の愛』”Trzy kolory: Czerwony”

キエシロフスキは映画監督であっただけでなく、1971年からはポーランド映画人協会のメンバーでもあり、1978-81年には副会長を務めていました。またカトヴィツェやウッジ、西ベルリン、ヘルシンキ、スイスの映画学校で講義をするなどしていました。1977年には演劇監督として、自身の作品であるドキュメント映画をもとにした“履歴(Życzorys)”でデビュー。そのほかにもポーランド国営放送TVPで放送された“テレビ劇場(Teatr Telewizji)”でも3つの作品を監督しました。

1996年3月13日、心臓病で死去。遺体はワルシャワのポヴォンスキ墓地に埋葬されています。