クラクフ (Kraków)

クラクフ(Kraków)は、ポーランド南部にあるマウォポルスカ県の県都。ポーランドで最も歴史ある都市の一つで、17世紀初頭にワルシャワに遷都するまではポーランド王国の首都でした。古い町並みが残る感じは日本で言えば京都でしょうか。この美しい町にな多くの観光客が訪れます。今回はクラクフに行ったらはずせない場所をご紹介します!

建物 説明
barbakan krakow バルバカン Barbakan
15世紀、中世のクラクフは、外部からの侵入を防ぐため、高さ10m、幅2.5mの城壁に、囲まれていた。町全体を囲んでいたこの城壁は13世紀に建設が始まり、39の塔と8つの門を持ち、その周りには、深さ8m、幅22mの堀がめぐらされていたという。19世紀始め、この要塞は取り壊されてしまったが、幸いフロリアンスカと呼ばれた門とその周辺の壁、3つの塔、そしてフロリアンスカ門の前にある、円形の砦、バルバカンは残された。バルバカンは15世紀に造られた。円形の防塁は、今ではワルシャワなどヨーロッパに数ヵ所しか残っていないという珍しいもので、クラクフにあるものが、現存する最大規模の防塁。7つの塔と、4列に並んだ130個もの小穴(下段の小穴は弓、または銃による射撃用のもの)持ち、フロリアンスカ門を守り、市内への敵の侵入を防いだ。当時はフロリアンスカ門に橋と通路でつながっており、円形なだけに、どの方向にも射撃が可能であり、強大な要塞であったと想像できる。
SONY DSC フロリアンスカ門 Brama Florianska
1300年頃に造られた。高さ33.5m、天然の石で造られた塔には、ポーランドの象徴白鷲が飾られている。(19世紀にとりつけられたヤン・マテイコの作品)周辺の壁沿いでは、露店ギャラリーが並んでいる。フロリアンスカ門は、クラクフのロイヤルロードの出発点でもある。ポーランド国王をはじめ、各国国王、外国要人がこの門をくぐり市内へ入った。戴冠式の行列や、その他様々なパレードがここから始まり、フロリアンスカ通りを通って中央広場へ、そこからグロツカ通りを南下しヴァヴェル城へと続いた。中世の当時を想像しながらこのロイヤルロードをたどって、クラクフ市内を散策したい。
rynek glowny 中央市場広場 Rynek Glowny
フロリアンスカ通りを進んでいくと、突然視界が開けて、大きな広場にでる。ここがクラクフ旧市街の中心、総面積4万?の中央市場広場。中世からそのまま残っている広場としては、ヨーロッパ最大の広さを誇る。広場に面して商店やレストラン、カフェなどが軒を連ねている。大道芸人やストリートミュージシャンの姿もみられ、いつも観光客や地元の人たちで賑わっている。古い建築物を眺めながら、ユネスコ世界遺産に指定された広場を1周してみたい。
mariacki 聖マリア教会 Kościół archiprezbiterialny pw. Wniebowzięcia Najświętszej Marii Panny
フロリアンスカ通りから広場にでると、目の前に2本の尖塔を持つゴシック様式の大きな建物がそびえ立っている。これが聖マリア教会。1222年に造られた。内部にあるヴィオット・ストウオシ聖壇は国宝にも指定されていて、1見の価値がある。ヨーロッパ第2位の高さを持つ木造彫刻でできた祭壇で12年の歳月をかけて造られた。ステンドグラスや聖堂内の芸術品、壁、天井などの装飾もとても美しい。正面入り口からは無料で入れるが、奥の方、ヴィオット・ストウオシをしっかり見るには、建物向かって右奥の入り口から料金を払って見学する。教会の塔からは、毎正時ヘイナウとよばれるラッパが吹き鳴らされている。この塔ができた中世の時代から、市内へのゲート開閉時や、火災、敵の進入を知らせる際などに吹かれていた。今も変わらず吹かれ続けているこのヘイナウのメロディーには伝説があり、その昔モンゴル軍がクラクフを襲った際、敵襲を告げるためラッパが吹き鳴らされたが、ラッパ手はモンゴル兵の放った矢に喉を貫かれて殺されてしまった。このことを偲んで、今も矢がささった瞬間に途切れてしまったところまでが吹かれているという。4月から10月の木・金・土曜日は塔を上ることができ、旧市街やヴァヴェル城が一望できる。
sukiennice 織物会館(織物取引所) Sukiennice
広場の中央に堂々と建っている、長さが108mもあるルネッサンス様式の建物。昔は衣服や、布地の交易所だった。1300年頃、ここに織物の露店が2列に並んでおり、そこに屋根がつけられたことが、織物交易所とするこの建物の始まりだという。建物は14世紀に造られ、1555年の火災の後、現在のルネッサンス様式の建物に改築された。現在1階内部はみやげ物屋になっており、中央通路の両側には、木彫りの民芸品や、ポーランド特産物の琥珀のアクセサリーなどを売る小さなお店がぎっしりと並んでいる。織物会館2階は国立美術館になっていて、マテイコMatejko、ロダコフスキRodakowskiなど18〜19世紀にかけてのポーランドの絵画ギャラリーになっている。
SONY DSC 聖ヴォイチェフ教会 Kosciol Sw. Wojciecha
10世紀に建てられたクラクフ最古の教会。
wieza ratuszowa krakow 旧市庁舎 Wieza Ratuszowa
13世紀につくられたゴシック建築の建物。かつての市庁舎の建物は1820年に取り壊され、隣接していたこの塔だけが残された。塔の高さは70mだが、1703年の強風が原因で55cm傾いているという。地下に非常に広い貯蔵庫があり、昔は人気のビアハウスであると同時に、拷問部屋のある地下牢として使われていた。現在この地下スペースには劇場と、レストランになっている。
ul.grodzka グロツカ通り ul. Grodzka
中央広場を廻ったら、フロリアンスカ通りと対になっているグロツカ通りを進んでヴァヴェル城へ向かおう。この通りの周辺は教会など古い建物が多く保存されている地域。
wawel2 ヴァヴェル城 Zamek Krolewski na Wawelu
グロツカ通りを進んでいくと、小高い丘に歴代ポーランド王の居城として名高いヴァヴェル城がみえてくる。クラクフがポーランド王国の首都だった時代は、王国の全盛期と重なり、1386年から1572年まで続いたヤギェウォ王朝の時代神聖ローマ帝国の一部であるボヘミアのプラハ、オーストリアのウィーンと並んで中央ヨーロッパの文化の中心であった。第2次世界大戦中は、ナチス軍の本部がここに置かれていたため、破壊を免れた。グロツカ通りから、交差点を渡り、坂をあがってヴァヴェル城へと入城しよう。
王宮脇の小道をぐるりと上がっていき、門をくぐってさらに進むと、丘の上からゆったりと流れるヴィスワ川のすばらしい景色を見ることができる。道に従いそのまま大聖堂へ進もう。
katedra wawelska ヴァヴェル大聖堂 Katedra Wawelska
1364年に建てられたバロック様式の建物で、18世紀まではここで歴代ポーランド王の戴冠式が行われた。3つの礼拝堂を持ち、北側のジグムント塔にはポーランド最大の鐘が吊るされている。1520年に鋳造されたこの鐘は、宗教上および国の特別な行事の際にしか鳴らされない。最近では前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世死去の際に、この鐘が鳴り響いた。周囲8mの鐘を支える台は、釘を一切使用せず、木だけを使って組み立てられている。鐘は塔の最上階にあるが、そこまで上ることもできる。ここからの眺めも素晴らしい。大聖堂の地下には墓所が設けられており、歴代の王や英雄が永遠の眠りについている。聖堂内部も荘厳で美しい。この大聖堂の外観において最も大きなアクセントになっているのは、建物の南側、広場に面した側にある金色のドーム、ジグムント・チャペルKaplica Zygmuntowskaだ。ポーランドで最も美しいルネッサンス建築の傑作といわれている。1519年にジグムント王の要請でイタリアから招いた建築家によって建てられたもので、1533年に完成した。
大聖堂前の中庭の東側にある建物内部には、古いヴァヴェル城の遺構が、発掘されたままの状態で屋内に保存され、展示されている。
zamek wawel 旧王宮 Zamek Krolewski
中庭(写真右上)から大聖堂に沿って奥へ入ると、ヴァヴェル城王宮の中庭に出る。周囲を取り巻く建物は、16世紀初頭にジグムント王が建てたゴシックとルネッサンスの複合形式のもの。現在内部は王宮博物館として公開されている。王宮内の71にホールがゴシック様式の回廊で結ばれており、歴代王の肖像や、家具調度品などを見ることができる。この博物館のは目玉がいくつかあるが、なかでも”Szczerbiec″という1320年以来ポーランド王の戴冠式に用いられてきた剣や、ジグムント・アウグスト王が収集した16世紀のフランドル産のタペストリー等は必見。同じ建物の中には、鎧甲や刀剣などの武具を集めた博物館もある。
smocza jama 竜の洞窟 Smocza Jama
ヴァヴェル城の南側、城壁の最も川べりに近いところに竜の洞窟がある。伝説によれば、昔ヴィスワ川に竜が棲んでいて、付近に住む美しい娘をさらっては食べていた。そこである靴職人の弟子が、竜をだまして、タールと硫黄を染み込ませた羊を食べさせた。すると喉が乾いた竜はヴィスワ川の水を飲み続け、ついには体が破裂してしまった。この賢い靴職人の弟子は、王の娘と結婚したという。城の高台からこの洞窟まで、らせん階段を使って降りるが、かなり深く目がまわりそうだ。洞窟の中も結構入り組んでいて、高低差もあり、竜の1匹や2匹くらい棲んでいそうな雰囲気。洞窟を出た所には火を吹く竜の像も立てられている。
ul.kanonicza カノニチャ通り ul. Kanonicza
ヴァヴェル城の丘の上から帰るには、来た道でなく、もう1つ別の道をおりていくことができる。大聖堂の入り口の前を過ぎ、城門をくぐると、そこからなだらかな坂が続く。城門の脇には、18世紀末3国分割に対して反乱を起こした、タデウシュ・コシチュウシュキの像が立っている。坂をおりきると、道路を挟んで向こう側の小さなカノニチャ通り(Kanonicza)につながる。グロツカ通りと平行しているこの通りは、クラクフで一番古い通りといわれ、人通りも店も少なく、非常に静かだが、きれいな建物が続き雰囲気がよい。途中でグロツカ通りと合流するので、この通りを通って、中央市場広場に戻るとよいだろう。

クラクフについては2018年NHK「世界ふれあい町歩き」で放送されました。機会があればぜひご覧ください!

(写真はpl.wikipedia.org, mykrak.info, kraków.travel, kraktorter.comからのものです)