こんにちは皆さん! 編集部の方から何か書けと脅されまして、私なりに考えたけれど、連載できるような知識は何もない!それなら昔のことを書けといわれたけど、年がばれるじゃない?それじゃ偽名(ハンドル名というのね)でということでお引き受けしました。今日から私の名前はワルサワ クラコとなりました。よろしくね! 昔のポーランドと言われても私の知っているのは80年代のポーランドのことで、それ以前のことはあまり知らないし、政治や学術なんかの専門的なこともよくわかりません。また、昔のことを知っているからといって、現在、そしてこれからポーランドで生活する人たちにとってはほとんど役に立たないのではないかしら?だって80年代のポーランドって社会主義だったし、制度も何も、自由化から20年以上経って、NATOに加盟して、EUにも加盟した今のポーランドとはかけ離れているように思えますから。 でも考えてみれば私の学生時代の友人たちも、今やビジネスやメディアで活躍していて、同じ時代を共有してきたのだから、彼らの背景を把握しておくのも悪くないかも。意外なところで弱みを握れたりしてね! あっ、でもこれ暴露ものではありませんよ。相手を特定できる個人名とかは一切だしませんから、過剰な期待はしないでくださいね。(報復が怖い!) できれば私がポーランドに初めて来たところから順に書いて行くべきでしょうが、そんなもの誰も読みたくないだろうということと、私の素性がばれてしまうので、適当なテーマごとに区切ります(女はやはりミステリアスなのが1番ですから)。ですから、連載といっても前の記事を読んでいないからわからないということはないようにしたいと思います。そそられないテーマはご自由に飛ばしてください。それと偉そうに言えませんが私も色々することはあるので、毎週毎週定期的に書くというわけにはいきません。機嫌の悪いときにはそれなりの文章になると思います。こんなわがまま娘ですがどうか暖かく見守ってやってください。 ワルサワ クラコ (写真はwww.swiatobrazu.plのものです) 関連記事 / Related posts: ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:居残り ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:配給券 ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:ドル ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:亡命 ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:亡命2 – 出戻り