自家用車の購入 新車の購入は各社ディーラーで行っています。中古車では中古車センター、もしくは個人売買も可能です。新聞や雑誌の広告でも売買できますが、盗難車、担保になっている車、共同所有の車である危険性もあるので十分注意して購入しましょう。 車検に関しては別途説明致しますが、車検証申請には、新車の場合には領収書(契約書)、中古車では売買契約書及び、納税証明が必要になるのでちゃんと保管しておきましょう。 個人間の売買である場合には車を購入後、購入金額の2%を居住地区の税務署(Urzad Skarbowy)に収めなくてはなりません。売買契約書を税務署に持参し、直接窓口で税額分を支払い、売買契約書に納税済みの印鑑をもらい、納税証明書を受け取ります。 車検 車検証申請には、新車の場合には領収書(契約書)、中古車では売買契約書及び、納税証明、そして、この他に住民登録票かポーランドの運転免許証(住所が記載されているポーランドの身分証明書)等を居住地区の区役所交通課に持参して車検証の申請をします。 新車ならば、即日車検証及びナンバープレートの交付を受けられますが、中古車の場合は、盗難車等でないことを調べるため、申請後1ヶ月してから正式の車検証が交付されます。それまでは、仮の車検証と仮のナンバープレートで運転することになります。古いナンバープレートは新しいものとその場で交換するか、後日持参する形になります。 車検証には、エンジン番号や車体番号が記入されるので、車検証が発行された時に間違いのないようによく確認してください。車検証及びナンバープレートの申請には40〜50 PZNの料金がかかる程度です。 その後の車検は年に1度(新車は3年間免除)、指定されている車検場(KONTROLA POJAZDOWA)で行います。内容は形式的なもので、ブレーキやライトの検査をする程度です。異常がなければ10分もあれば終わります。ただし、担当者の指示に従い自分でウインカーを出したりしなければならないので、ポーランド語に自信のない場合は、ポーランド人に行ってもらった方が無難です。 ポーランドの車検場では、例えばヘッドライトが壊れていた場合、修理、交換等はしてくれません。当然車検も通りませんから、1週間程度有効の仮車検証をもらい、自分で修理工場等で直し、車検場で確認してもらい、正規の車検に1年間有効のスタンプが押されます。 車検証はプレートナンバーやエンジン番号を中心に誰の所有であるかが明記されています。従って、住所が変更になった場合は、新住所の管轄交通局に再申請することになります。この場合、ナンバープレートも変更となり、車検カードも新しくなります。ただし、車検期間に関しては以前の期間がそのまま持ちこされます。 ワルシャワの主な車検場 AUTOCOM, Stacja Obslugi i Kontroli Pojazdow ul. Wolska 225, tel.: 36-14-95 PZM AUTOTOUR, Stacja Kontroli Pojazdow ul. Franciszkanska 14, tel.: 831-01-02, tel./fax: 831-28-25 SPTHW Stacja Diagnostyczna ul. Przedpole 1, tel.: 846-16-20 KILIANCZYK RENAULT Al. Jerozolimskie158, tel.: 658-25-80 MPT Sp z o.o. Autoryzowana Stacja Obslugi ul. Chrzanowskiego 4, tel.: 670-00-22 保険 義務保険加入には車検証が必要です。大抵は車を購入したディーラー、または区役所交通課に保険手続きの窓口がありますので、こちらを利用すると便利です。 通常加入日から1年間の契約をすると5〜10%の割引になります。義務保険だけではなく任意(通称AC)に加入する場合は、同保険会社を利用した方が有利です。 中古車の場合には、仮ナンバープレートで申請が行えます。加入手続きは新車の場合と同じですが、後日正規のナンバープレートを交付されてから、再度保険会社に出向き、ナンバープレートの書き換えを行ってください。この作業は無料でできます。 交通法規 交通法規は、左ハンドルであること以外、ほとんどが日本と同じですが、場所によっては信号が赤でも右折可能な場合があります。この時には信号機の下に緑字(青)で右方向への矢印マークが表示されています。しかし、優先権は左方向から直進して来る車にありますから要注意です。また、信号がない交差点では、右方向から来る車に優先権があります。(ただし、優先標識(ひし形で中が黄色)があればこちらが優先。逆三角で中が黄色の非優先標識が出ていれば、相手が優先となります。)また、ロータリーでは、ロータリーの中に入っている車が優先になりますが、出る車と入る車が混乱するので特に注意が必要です。 尚、11月1日から3月31日まで日中でもライトをつけて運転しないと罰金をとられます。また、ポーランドで運転するのには免許証の他に、車検証、強制保険(通称OC)契約書を常時携帯しなければなりません。 ガソリンスタンド ガソリンは98、無鉛98、無鉛95、94、の4種類があり、数字が大きい方がグレードも値段も高くなります。ちなみに、98でリッター3ズウォチくらいです。ポーランドのガソリンスタンドは、日本とは違い、ほとんどがセルフサービスです。入れたい種類のガソリンのタンクの前に車を止め、タンクの上に付いている緑ランプが付いていることを確認して、自分で給油します。メーターに料金も表示され、支払いは給油したタンクの番号をいってレジ(kasa)で払います。特に女性の方は、面倒な場合には、従業員にチップを払い、給油してもらいましょう。 ガソリンスタンドではこのほか、ちょとしたカーアクセサリーやドライヴ用の軽食なども販売しています。 自動車の盗難 残念ながら、ポーランドでは車の盗難が少なくありません。特に高級車やポーランド製の大衆車が狙われます。車自体は盗まれなくても、窓ガラスをやぶり、カーラジオや携帯電話等が狙われるので、路上駐車する場合は、これらのものを置きっぱなしにしない注意が必要です。 普通には、盗難防止アラーム、MULTI-LOOK(ギヤを固定)等、2重、3重の装備をするが常識になっています。市内では面倒でも守衛付きのパーキングを利用するのが望ましいでしょう。 また、車を利用した犯罪では、進行方向に障害物を設け、運転手が車を離れ障害物を処分するところを狙って車を盗んだり、助手席に人を残している時に強引に運転席に乗り込んでくる場合もあるので注意が必要です。 ちなみに車の盗難の摘発率(盗難車が返還)は警察の発表では30%前後になっています。 最後に 一般的にポーランド人の運転マナーは良いとはいえません。残念ながら事故等も少なくありません。特に日本人の感覚で見るとポーランドでは車間距離をとらず、急ブレーキもかなり頻繁に使うことが多いようです。ウインカー等もぎりぎりに点滅させます。自分の運転以外にも常に周りに目を配り、安全運転を心掛けましょう。 (写真はwww.eszkola-wielkopolska.plのものです) 関連記事 / Related posts: 関連記事がありません / No related posts.
ポーランドは西欧文化圏に属する。そして、ポーランドの文化レベルは相当に高い。9年制の義務教育が行き渡り、文盲率は極めて低い。高等教育も長い伝統を持つ。クラクフのヤギェウォ大学は1364年創立と、中欧ではプラハのカレル大学に次いで2番目に古い大学で、コペルニクスもここで学んだ。 ポーランド人は自国の文化を誇りにしている。しかし同時に外国の文化への関心も高い。日本に関して言えば、ワルシャワ大学とクラクフ大学が日本学科を設置しているほか、日本語を教えている大学が何カ所かある。テレビのクイズ番組で「日本の先代の天皇の名は?」「第2次大戦後長く米軍の占領下にあり、今も基地が多い日本の島は?」といった問題が出され、出場者が難なく答える姿が見られるし、柔道、剣道、空手にはげむポーランド人は少なくない(柔道ではオリンピックの金メダリストも何人か出ている)。オシフィエンチム(アウシュヴィッツ)がある国ゆえにヒロシマはほとんど常識であり、近年は「カローシ」(過労死)まで知られるに至った。 民主化後は、外国旅行や外国でのアルバイトも増えている。なにしろ陸続きのヨーロッパ、高速バスや列車で簡単に国境を越えられる。ビジネスマンなら、飛行機でロンドンへ日帰りの商談に出かけもする。国際感覚という点では、島国日本は太刀打ちしがたい。新しいものを取り入れる意欲や企業家精神が旺盛なのも、民主化後のポーランド人のひとつの特徴であろう。 文化を生み、支える重要な要素に、宗教がある。寛容の精神は13世紀にユダヤ教徒を受け入れ、プロテスタント勃興の時代にもカトリック信者とのあいだに大衝突を経験しなかった。ポーランド国民の90%以上がカトリック信者とされる。小説や映画でも、神と悪魔、キリスト教倫理と人間の葛藤などが、主題として、またモチーフとしてしばしば描かれる。政治・社会的には、共産主義という重しがのしかかっていた時代、教会は体制の支配に抗する勢力として、国民の心の拠り所であった。民主化の後は、重しが取れたことと、教会側の右寄りな発言が目立ち始めたなどから、権威にいささかの翳りが兆した。とはいえ、カトリックの信仰は民衆の生活に深く根づいており、クリスマスや復活祭をはじめとする様々なキリスト教の行事は、日本の盆と正月のように生活の一部で、旧政権でさえ尊重した。その意味でポーランドは間違いなくヨーロッパ文化圏の一部をなす。 「乙女の祈り」という世界じゅうに知られた可憐でポピュラーな曲がある。1856年にできたこのメロディーの作曲者がワルシャワ生まれの女性テクラ・ボンダジェフスカと知る人は少ない。「タンゴ・ミロンガ」は南米の曲ではない。同じくワルシャワに生まれ、20年足らず前に死んだペテルスブルスキと名乗るポーランド系ユダヤ人だ。次に文学。1996年度のノーベル文学賞をポーランドの女流詩人ヴィスワヴァ・シンボルスカが受賞したのは記憶に新しい。ある程度の年代の方なら名作『クォ・ヴァディス』のシェンキェヴィチをご存じだ。この両者の他に長編小説農民レイモントと一方、SFファンならば、『ソラリスの陽のもとに』のスタニスワフ・レム。単なる空想科学小説にない彼の哲学的な深みに国際的人気が高い。他にも優れた作家は多く、作品の邦訳も意外に少なくない。 高い文化水準が一朝一夕に出来上がるはずはない。ポーランドは、バルト海から黒海までの広大な領土を支配した中世以来の、素晴らしい文化伝統を誇っている。ロシア、プロイセン、オーストリアの3国に分割されて地図上からポーランドの名が消えた時代にも、この地から詩人ミツキェヴィチ、作曲家ショパン、科学者キュリー夫人らが生まれた。このショパンとキュリー夫人にコペルニクス、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世、ワレサ前大統領を加えた5人が、日本で最も著名なポーランド人というところだろう。もっとも、彼らがポーランド人と知らない人も多いかもしれない。以下、文化・芸術の分野で日本人になじみのあるポーランドの名前を紹介しよう。 認識度では映画の方がはるかに上で、ポーランドといえば映画を思い浮かべる人が多い。『灰とダイヤモンド』などで有名なアンジェイ・ワイダ監督は日本との関わりが特に深く、坂東玉三郎を主演に舞台と映画で『ナスターシャ』という作品をものしている。古都クラクフに数年前オープンした日本文化・技術センターは、ワイダ監督が京都賞で得た賞金をもとに、内外からの寄付を募って完成させた日?ポ両国の架け橋である。他に、オールドファンにはカヴァレロヴィチ、最近の監督では96年に急逝した『トリコロール3部作』のキェシロフスキ、アグネシュカ・ホラント、ザヌーシなどが知られている。アメリカに渡ったロマン・ポランスキも、ポーランド出身である。演劇ではタデウシュ・カントルが高い評価を受けていた。 再び音楽に戻る。さすがショパンの国、古くは首相も務めたパデレフスキ、新しいところではツィメルマンと、ピアニストに人材が多い。5年に1度ワルシャワで開かれるショパン・コンクールからは、上述のツィメルマンをはじめ多くの世界的演奏家が世に出た。日本人ピアニストが多数参加し、客席にも日本人が目立つ「日本人好みのコンクール」としても知られる。ヴァイオリンのヴィェニァフスキ・コンクール(開催地ポズナン)も権威が高い。作曲家では、現代音楽のペンデレツキ、ひところ「交響曲第3番」がブームになったグレツキらがあげられる。 絵画では、日本まで名の聞こえた画家はいないものの、グラフィック、特にポスター美術の独創性で世界的に知られており、日本の中学校用美術教科書に何度もポーランド人の作品が取り上げられている。 学問の世界では、文化人類学者のマリノフスキ、樺太アイヌの研究家ブロニスワフ・ピウスツキ(大戦間期の元首ユゼフ・ピウスツキの兄)、ビタミンの命名者フンク、数学者バナッハらがいる。 これら「日本での著名人」の背後には、わが国では知られていないが優れた業績をあげた人々が数多く控えている。そして、いわゆる「業績」とは無縁ながら、歴史と伝統と文化を守ってきたあまたの無名の庶民がいる。戦争で瓦礫の山と化したワルシャワ旧市街を元通りに復元した市民たち。古い建物を再建し、保存し、修復して使い続ける人々。目に見えるものだけが文化ではない。国民の魂にこそ文化は宿る。 武井摩利(2006年) 関連記事 / Related posts: ワルシャワのオペラ(しょこたんのまるっとワルシャワ日記) バシカ(グダ男のポーランド・ヒット曲) Nie Nie Nie / ニェ・ニェ・ニェ(グダ男のポーランド・ヒット曲) ポーランドのメタルにハマってしまった女(メタル漬け生活@ポーランド) 東欧ブラックメタルガイドブック(メタル漬け生活@ポーランド)
Kilka przemyśleń Japończyków po pobycie w Polsce. Japońskie spojrzenie na Polskę Przyjechałam do Polski podczas przepięknej jesieni. Nie czułam zupełnie zdenerwowania, ani tego, że jestem w obcym kraju. Ludzie wokół byli uprzejmi, ciepli i sprawiali dobre wrażenie. Zamieszkałam w Polsce, jakgdyby nigdy nic, a przecież przed wyjazdem nie wiedziałam nawet, gdzie leży Polska na mapie, a zamiast słownika języka polskiego przywiozłam ze sobą, słownik portugalski (porandogo = polski, porutogarugo = portugalski). Nie zdawałam sobie też wtedy jeszcze sprawy, jak długa i ciężka czeka mnie zima. Gdy skończyła się jesień, miasta straciły kolory, w Japonii mówi się wówczas, że świat wygląda jak „obraz malowany tuszem”. Polacy natomiast mówią, że „jest […]