ロマン・ポランスキは「戦場のピアニスト」や「ローズマリーの赤ちゃん」などの作品で有名なポーランドの映画監督です。 ポランスキーは1933年8月11日、フランスのパリでユダヤ系ポーランド人の家庭に生まれました。出生時の名前はRajmund Roman Liebling (ライムンド・ロマン・リーブリング)。彼が3歳になると一家はポーランドのクラクフへ引っ越します。1939年になるとユダヤ系であったポランスキ一家は、ドイツ軍が作ったゲットーに強制移住させられます。母親はアウシュヴィッツ強制収容所に連行され、虐殺されました。ポランスキは父親の手助けで逃げ延び、クラクフ郊外のカトリック教徒の家に隠れましたが、まもなくクラクフに戻り、路上で生活を始めます。 彼の家族はほとんど虐殺されていましたが戦後、生き残っていた父親と再会。13歳頃からアートに興味を持ち始め、映画館に通い始めます。その後クラクフの劇団に入団、演技力が高く評価されます。1953年に映画デビュー。その後アンジェ・ワイダ監督作品「世代(原題:Pokolenie)」に出演。 1954年にウッジの国立映画大学に入学。学生時代に撮った作品はどれも高評価されており、1958年の作品「タンスと二人の男(原題:Dwaj ludzie z szafą)」は5つの国際映画祭で入賞しています。1959年に女優のバルバラ・クフィアトコフスカと結婚(1962年に離婚)。1962年に発表されたデビュー長編映画「水の中のナイフ(原題:Nóź w wodzie)」は国内の賞賛を浴びたばかりでなく、ヴェネチア国際映画祭の批評家賞を受賞、またアカデミー外国語映画賞にもノミネートされました。その後フランスに移住。パリで知り合った脚本家ジェラルド・ブラックとコンビを組み、「反撥(原題:Repulsion)」、「袋小路(原題:Cul-de-sac)」を撮影、ベルリン映画祭で銀熊・金熊賞を受賞しました。1966年に「吸血鬼」の製作に入り、シャロン・テートと出会い、結婚してアメリカに渡ります。1968年に製作された初のハリウッド作品「ローズマリーの赤ちゃん(原題:Rosemary’s Baby)」で世界中に名前が知られることになりました。 しかし幸せな新婚生活も長くは続かず、1969年8月、妊娠8ヶ月だったシャロン・テートはビバリーヒルズの自宅でチャールズ・マンソン率いるカルト教団に惨殺されます。このときポランスキーは撮影のため家を留守にしていました。 1974年、ジャック・ニコルソンが主役の「チャイナタウン(原題:Chinatown)」を発表、この作品はアカデミー賞11部門にノミネート(1部門受賞)、またゴールデングローブ賞も7部門ノミネート(4部門受賞)し、一気に観客の層を広げることになりました。しかし1977年、当時13歳の子役の少女に性的行為をした容疑で逮捕、有罪判決を受けますが保釈中にパリへ逃亡。それ以来アメリカには一度も入国していません。 2002年に監督した実在のピアニストであるヴワディスワフ・シュピルマンの体験がもとになっている作品「戦場のピアニスト(原題:The Pianist)」は、カンヌ映画祭最高賞であるパルム・ドール賞を受賞。アカデミー賞では7部門にノミネートされ、3部門で受賞しましたが、上記の問題があるために授賞式には出席しませんでした。2019年9月には最新作“ジャキューズ”が第76回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を、2020年3月の仏セザール賞で最優秀監督賞を受賞しています。 関連記事 / Related posts: 2018カンヌ映画祭:ポーランド作品が16年ぶりにコンペ部門に! チャイナ・タウン(China Town) アンジェイ・ワイダ(ヴァイダ) (Andrzej Wajda) クシシュトフ・キエシロフスキ(Krzysztof Kieślowski)
ポーランドの世界遺産のひとつであるアウシュヴィッツ強制収容所跡を見学して来ました。今は博物館になっていて、多くの観光客が訪れる一大スポットになっています。 まずアウシュヴィッツのほうに行きました。有名な「働けば自由になる」と書いてある門を入ると、煉瓦でつくられた建物が整然と並んでいます。その建物の中に展示がされているのですが、当時の収容者たちのトランクやメガネや靴はおろか、刈り取られた髪の毛 […]
7月2日、ポーランドの世界遺産としても有名な国立オシフィエンチム博物館(アウシュビッツ=ビルケナウ ナチス・ドイツの強制絶滅収容所)で盗難事件がありました。 犯人は47歳のドイツ人の男性。教師として生徒達を連れての社会化見学の最中、フォークやはさみ、陶器のかけらなど10点をかばんにしまっている所を拘束されました。犯人がこれらのものを集めたのはドイツ軍占領時代に「カナダ」と収容者達に呼ばれてい […]
今回は、「ときめき」とは言えない場所になります。 マイダネク(Majdanek)収容所をご存知ですか? アウシュビッツ強制収容所のことは知っていても、それがポーランドにあるのだということは、実際にポーランドに来るまで知りませんでした。アウシュビッツ強制収容所のことは知っていても、ほかにもいくつもあったという強制収容所については、今でも詳しく知りません。 そこで、ポーランド国内に何か所も残っている […]
第二次世界大戦中にドイツに侵略されたポーランドには、数多くの強制収容所・絶滅収容所が残っています。多くのユダヤ人やポーランド政治犯など約六百万人が命を失いました。よく知られているのは、アウシュビッツ強制収容所ですが、現在ポーランドには九カ所残っており、その中の六カ所を回ってきましたので、写真にて紹介いたします。 アウシュビッツ強制収容所博物館のガイド氏によると、ヒトラーはもともと国民 […]