ポーランド人民共和国博物館 (Czar PRL)

  2014年4月、ワルシャワに共産主義時代のポーランドをテーマにした博物館、Czar PRL(チャル・ペー・エル・エル – ポーランド人民共和国の魔法)がオープンしました! この博物館、Adventure Warsawというワルシャワの観光ガイドさんグループの発案で作られました。ワルシャワを案内するには共産主義時代の話は避けて通れないこと、観光客が一番興味を持つのは建築物とそこに住んでいた人々の生活についてであ […]

ポーランド民主化25周年

  1989年6月4日は、当時社会主義政権下のポーランドで第1回目の自由選挙が行われた記念すべき日でした。これは1980年代初頭に始まった民主化運動の高まりを受け、政府と独立自主管理労働組合「連帯」に代表される反体制勢力の話し合いの場として設けられた「円卓会議」で合意された内容により行われた選挙でした。 この選挙は6月4日・18日と2回にわたって行われ、その結果「連帯」勢力が圧倒的大勝利を収め、東ヨーロ […]

ポーランドの国産車!?

  現在、トヨタをはじめ、世界の列強の工場が集中するポーランドですが、残念ながらポーランドの国産車メーカーはありません。でも、つい一昔前までは、国産車もありました。年代順に見ていってみましょう。 終戦直後にフィアット1400のライセンス生産が計画されていました。この計画ではポーランドの石炭とのバーター取引によるものでしたが、冷戦の開始とマーシャルプランによる米国の安価な石炭がイタリアに入って […]

お勧めの日本のテレビ番組

ポーランドを知る上で貴重な、もしくは役立つTV番組(放送済)を抜粋してみました。 再放送やオンライン視聴が可能なものがあれば、是非一度見てみてください。 (情報提供はKaneko Creative Agencyさんより) NHK ETV特集・HV特集「アンジェイ・ヴァイダ 祖国を撮り続けた男」 ヴァイダ監督の作品を辿りながらポーランドの歴史背景や社会主義時代の映画作りが語られていく。自身の最後の映画になるかもしれないと取り組ん […]

ポーランドの歴史・中編

  第二次世界大戦 世界恐慌の打撃からようやく立ち直りかけたのもつかの間、1939年9月1日、ナチス・ドイツはポーランド・ドイツ不可侵条約を破ってポーランドに侵入し第二次世界大戦が勃発、ソ連も独ソ不可侵条約に付された秘密条項に従ってポーランド東部を占領した。こうして独立回復から20年余りでポーランドは再び分割され、地図から消えた。政府首脳は国外に逃れ、ロンドンに亡命政府を樹立し、国内の抵抗運動を […]

ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:居残り

  なんか今週は皆さんの反応が全然ありませんでしたねー。 やっぱり話しが暗すぎる(重すぎる)かしら? 前回は出戻りについて書いたけど、出戻りだけでは片手落ちだから今回は居残り組についてもちょっと書いてみようかしら。(面白くなくても意見は聞かせてね) 例えば80年代に私が住んでいたアパートの隣のお兄ちゃんの話し。年齢はあまり変わらないんだけど、このお兄ちゃんのところは母親と2人ぐらし。電話もまだ […]

ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:亡命2 – 出戻り

  前回に次回は明るい話題をと宣言したんだけど、忘れないうちに亡命編に付け足しておきたいことがあります。 それは90年代前半の亡命者たちの出戻りについてなの。開放されたポーランド、自由な祖国に帰ってくる人たちが多くいるのは当然といえばそうなんだろうけど、私個人としては、その中の1部の人たちにはあまり好感が持てませんでした。当事私がよく考えていたことがあるので、今回はちょっとそのお話しをさせて […]

ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:亡命

  80年代のポーランドでは外国へ亡命してしまう人たちがいました。昔ベルリンの壁を越えようとして射殺されたり、地雷を踏んで命を落としたした人たちがいるんですから、亡命するということは本当に命がけだったんだわ。 でもポーランドでは直接西側(前回に続き死語だわ!)と国境を接していないからか、射殺されたり、死刑になったという話しはほとんど聞いたことがありません。それどころか、亡命に成功してから残 […]

ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:ドル

  チェンジマネー? 80年代のポーランドでは街を歩いていると、そんな声が多く聞かれました。格好いい男性が「お譲さん、お茶でも如何?」なんてことなら多いに歓迎するけど、大抵ふやけたおじさんたちで、「ドル!ドル!」と群がってこられても、「そばに寄るな!」といいたくなります。この人たちは親切(?)にも私の持っているドルやマルクをポーランド通貨に両替してくれるというわけです。しかしこれ、立派な違 […]

ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド:配給券

  80年代のポーランドには配給券というものが存在しました。 (実は個人的には配給券という言い方は適当ではないと思っています。なぜなら、配給券を持っていても長い行列に並ばされ、かつ代金を払わなければならないからです。予約券とでもいいたいところです。でもここではややこしいので配給券で統一しましょう。) 80年代の配給券には食肉がありました。これは1ヶ月当、一般市民が2.5キロ、肉体労働者は4キロ(だ […]

ワルサワ・クラ子の80年代のポーランド

  こんにちは皆さん! 編集部の方から何か書けと脅されまして、私なりに考えたけれど、連載できるような知識は何もない!それなら昔のことを書けといわれたけど、年がばれるじゃない?それじゃ偽名(ハンドル名というのね)でということでお引き受けしました。今日から私の名前はワルサワ クラコとなりました。よろしくね! 昔のポーランドと言われても私の知っているのは80年代のポーランドのことで、それ以前のこと […]