クラクフは17世紀初頭ワルシャワに遷都するまではポーランドの首都だった。ポーランドにとっては日本の京都のような存在であり、バルバカンと呼ばれる15世紀に造られた円形の砦を抜けると、風雅さを抱くヨーロッパの古都が目の前に広がる。クラクフは第二次世界大戦の最中、ドイツの司令部が設置され、建物の殆どは当時の姿のまま残されている。そのせいか、ワルシャワの街よりも品と威厳を感じる。 暫く石畳を進むと、大きな中央広場に出る。黄色や赤の色味の加わった建造物に囲まれた広場にひときわ威厳のあるゴシック様式の聖マリア教会、その先に旧市庁舎の塔を望む事が出来る。白馬や黒馬が観光客を乗せ、観光客は大道芸や建造物を写真におさめている。 友人の一人が、広場の中央に鎮座するルネサンス様式の建物を指差した。そこはかつて多くの商人たちが、織物を交易した織物会館と呼ばれる建物であり、私たちはその中へ入った。一階に土産屋が広がり二階は博物館になっている。滞在する日取りがまだあることもあり、土産物を買わず、私は友人たちと少し離れ外へ出た。 太陽に寄り添う美貌の青空の目下に広がる広場は、金色に輝いて見える。随分と遠くまで来たな、と独り言ちに呟き、息をゆっくり吐いた。 ポーランドを訪れてたら、ずっと夜の中にいるような、終日、夜の肌触りを感じつつ、深く物思いにふける事が多い。 私は大学時代、クラシック音楽の纏う、あの優雅な雰囲気が嫌いだった。お嬢様の情操教育の延長線上にクラシック音楽があり、ただ西洋に憧れ続ける平和の花園に生きる事に疑問を持ち続けていた。それでいて、何者でもない自分である事への葛藤を繰り返していた。 先日、アウシュビッツへ出向いた。その出来事は衝撃だった。今はまだ言葉に出来ない。人間の愚かさは勿論の事、音楽がどのように使用され、音楽家がどのように使われたのか、考えるところがあった。 クラシック音楽とは、もしかすると悲しみを最も抱く音楽ではないか。 そう考えていると、聖マリア教会から、ラッパの音が鳴り響いた。 中世、クラクフの街がモンゴルに襲撃された際、あるラッパ吹きが窓からラッパの音を高々に鳴らし、人々に襲来を知らせたが、その途中、そのラッパ吹きは喉を弓矢で射抜かれて死んでしまう。亡くなったそのラッパ吹きを悼み、毎時鳴り響くラッパの音を突如終わらせる習慣が聖マリア教会では中世より今でも残っている。切り取られてしまったラッパの音が澄んだ青空に吸いこまれていくのを感じながら、吹かれなかったラッパの音は、一体どこへ向かうのだろうか、と考えた。向かう場所が、血の流れる悲しい場所でない事を私は祈る。 関連記事 / Related posts: 関連記事がありません / No related posts.