ポーランドでは7月くらいからきのこが出回り始めます。ポーランド人はきのこが大好き。週末は家族で森へきのこ狩りに行くこともあります。ワルシャワなどの都市ではきのこ狩りが出来るところは限られていますが、市場では量り売りで購入することが出来ます。さまざまな種類のきのこが籠に盛られて売られていて、どれを買おうか頭を悩ませてしまうほど。マッシュルームやヒラタケなどは一年を通して購入することが出来ますが、その他のものはこの季節にしか購入できない旬のもの。レストランなども、この時期限定のきのこメニューを出すところも多くあります。 今回は、この時期のポーランドでよく見かけるきのこの名前を一覧にしてみました(表記は複数形)! ポーランド語 読み方 意味 Pieczarki ピエチャルキ マッシュルーム Boczniaki ボチニャキ ヒラタケ Borowik / Prawdziwki ボロヴィキ ヤマドリタケ(ポルチーニ) Maślaki マシラキ ヌメリイグチ Kurki クルキ アンズタケ Podgrzybki ポドグジプキ ニセイロガワリ Gąski ゴンスキ シメジ(大ぶり) 関連記事 / Related posts: クルキ (Kurki) ワルシャワの有名菓子店・Słodki Słony コトレット・スハボーヴィ(Kotlet Schabowy) ピズィ(Pyzy) フウォドニク (Chłodnik)
グルンヴァルドの戦い (Bitwa pod Grunwaldem)とは1410年7月15日、ポーランド王国・リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団の間で行われた戦闘のことです。 この戦闘の舞台は現在ポーランドのヴァルミア・マズールィ県にある、グルンヴァルド村・ステンバルク村そしてウォドヴィゴヴォ村の間にある平原でした。それまでドイツ騎士団はキリスト教布教の名目で各地域を侵略してきました。当時東ヨーロッパでは唯一リトアニア大公国がキリスト教ではありませんでした。しかし1386年、リトアニア大公のヤギエウォがポーランド王女ヤドヴィガと結婚してポーランド王ヴワディスワフ2世となり、ポーランド王国とリトアニア大公国の両方の王となりました。それにともない、リトアニア大公国もキリスト教に改宗しました。これではドイツ騎士団はリトアニアに侵略できません。その上、1409年にドイツ騎士団領だったジュムジでの反乱をリトアニア大公国が支援したことがドイツ騎士団の反感を買い、戦いに至りました。この戦いに勝利したポーランド・リトアニアはさらに勢力を拡大、ヨーロッパで最大の領土をもつ強国として最盛期を迎えました。 毎年7月中旬になると、この中世の戦いを記念してグルンヴァルト村の戦場跡で戦いを再現するイベントが行われ、国内外から毎回多くの観客を集めています。2010年3月にはリトアニア共和国のウンブラサス副国防相がポーランドを公式訪問してポーランド政府側と会談し、ポーランド王国とリトアニア大公国が協力して勝利したこの戦いの600周年を記念して、2010年からはリトアニア共和国も国を挙げてこの祭りに参加しています。 (写真は当時戦いのあったグルンヴァルド村です) 関連記事 / Related posts: Bitwa pod Sekigaharą
Japonia, jako kraj wyspiarski, wiele zawdzięcza okalającym ją wodom – przez lata były one nie tylko źródłem pożywienia, ale także pozwoliły na izolację kraju i wykształcenie unikalnej japońskiej kultury. Aby wyrazić swą wdzięczność za otrzymane dary, Japończycy obchodzą Umi-no hi (海の日), czyli Dzień Morza. Początki tego święta przypadają na rok 1876, kiedy to Cesarz Meiji wyruszył w rejs żelaznym statkiem Meiji Maru. Na pamiątkę tej cesarskiej podróży, która zakończyła się 20 lipca w Yokohamie, w 1941 roku ustanowiono Umi-no Kinenbi (海の記念日), czyli Dzień Pamięci o Morzu. W roku 1996 datę tę uczyniono świętem narodowym, zmieniono także jej nazwę na Dzień Morza. Od roku 2003, za sprawą Happy Monday System (ハッピーマンデー制度), czyli […]