ジェラゾヴァ・ヴォラ (Żelazowa Wola) – ショパン生家

ワルシャワから西に約54kmのところに、ジェラゾヴァ・ヴォラという村があります。車だと1時間半ほどの距離ですが、ワルシャワの喧騒とは全く違うのどかな田園風景が広がっています。ここはポーランドが誇るピアノの詩人、フレデリック・ショパンが生まれたところです。 フレデリック・ショパンの母ユスティナ・クシジャノフスカはこの一帯の領主であったスカルベク公爵家の侍女をしていた時、スカルベク家の子息の家庭教師 […]

2022年ワジェンキ公園ショパンコンサート開始!

ワルシャワの春夏の風物詩、ワジェンキ公園で毎年5月から9月にかけて開催されているショパンコンサートは今年で63回目を迎えます!今年は5月15日より始まります。演奏者のリストは以下の通りです。国名の記載のない演奏者は全てポーランド人です。 日程 12:00 16:00 5月15日 MARC LAFORÊT (France) MARTÍN GARCÍA GARCÍA (Spain) 5月22日 MICHELLE CANDOTTI (Italy) JAKUB KUSZLIK 5月29日 JOANNA ŁAWRYNOWICZ MARIA GABRYŚ […]

ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina)

ワルシャワに来たことのある人なら、聖十字架教会前やコペルニクス像前でショパンの音楽を耳にしたことがあるのではないでしょうか? ショパン生誕200年にあたる2010年、ワルシャワには「ショパンのベンチ (Ławeczki Chopina – ワヴェチキ・ショぺナ)」なるものが作られました。これはショパンにゆかりのある場所の前に設置されていて、ボタンを押すとショパンの名曲が流れます。ボタンを押すと音が流れるため特に子 […]

ポーランドのクリスマスマーケット

あっという間に年末が近づいてきました。この時期のポーランドはもうすっかりクリスマスムード一色。イルミネーションやクリスマスのデコレーションが飾られたり、クリスマスプレゼントに頭を悩ませたり、年末の長い休みに向けて、心なしか人々の気分もウキウキしているように見えます。 この時期になると大都市にはクリスマスマーケット(Jarmark Świąteczny – ヤルマルク・シフョンテチヌィ)が登場します。開催場所 […]

第2次世界大戦勃発のシンボル ヴェステルプラッテ(Westerplatte)

1939年9月1日早朝、ドイツ軍がポーランドに侵攻。これを受けて9月3日にはイギリス・フランスがドイツに宣戦布告、第2次世界大戦が始まりました。 ドイツ軍はグディニャ、ヘル半島、シロンスク地方南東部、ヴィエルコポルスキ地方、ワルシャワなどのを空爆。一番最初にドイツ軍の攻撃の被害にあったのはヴィエルンという都市であると言われていますが、ポーランドで第2次世界大戦勃発のシンボルとなっているのは、グダンス […]

トレブリンカ強制収容所 (Muzeum Treblinka)

トレブリンカ強制収容所はワルシャワから北東に約100km、車で2時間弱のところにあります。ここはナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅を目的とした「ラインハルト作戦」にもとづいて作られた三大絶滅収容所(そのほかにはベウジェツ強制収容所、ソビブル強制収容所)のひとつで、1942年に建設されました。 有刺鉄線が張り巡らされた約17ヘクタールの敷地には30-40人のドイツ人とオーストリア人、100-120人の警備員(そのほと […]

“ショパンと彼のヨーロッパ”国際音楽祭(Międzynarodowy festiwal muzyczny „Chopin i jego Europa”)

毎年8月後半、ワルシャワでは“ショパンと彼のヨーロッパ”国際音楽祭(Międzynarodowy festiwal muzyczny „Chopin i jego Europa” – ミエンジナロドヴィ・フェスティヴァル・ムジチヌィ“ショパン・イ・イェゴ・エウロパ”)が開催されます。 これは2005年より毎年開かれているもので、ショパンという名前は付いているものの演目はショパンだけではありません。ジャンルも古典から現代音楽までさまざまで、シ […]

グルンヴァルドの戦い (Bitwa pod Grunwaldem)

グルンヴァルドの戦い (Bitwa pod Grunwaldem)とは1410年7月15日、ポーランド王国・リトアニア大公国連合軍とドイツ騎士団の間で行われた戦闘のことです。 この戦闘の舞台は現在ポーランドのヴァルミア・マズールィ県にある、グルンヴァルド村・ステンバルク村そしてウォドヴィゴヴォ村の間にある平原でした。それまでドイツ騎士団はキリスト教布教の名目で各地域を侵略してきました。当時東ヨーロッパでは唯一リトアニア大 […]